さらさら録

日々のさらさらの記録

『甘ったるい紅』

novelcluster.hatenablog.jp
のべらっくすは久々ですね。
お題を見たのは沼津発浜松行きホームライナーの中で、車内で書き留めたイメージを膨らませて書きました。久しぶりだと書き方を忘れていてびびります。

* ☆ * ☆ *

中2って、特別な感じがするよね。そう言ってけろりと笑った後藤倫子の顔を、後藤俊哉はふいに思い出した。15年の間、倫子は“特別な感じのする”中2のまま、俊哉の脳のしわに潜り込んでいた。目の前には、祭りに向かう浴衣たち。その中に、俊哉は15年前の自分を見たような気がして思わず目をこすった。


後藤倫子は小学4年の年明けにこの街に転校してきた。同じ苗字だった俊哉は「後藤」ではなく「俊哉」か「とっしー」と呼ばれるようになり、倫子も「倫子」もしくは「りんりん」と呼ばれるようになった。
「父の仕事の関係でこちらに来ました。よろしくお願いします」
この街とまったく違うアクセントで喋る倫子は、あっという間に女子に囲まれた。前はどこにいたの、前の学校はどんな風だったの、その服はどこで買ったの、ヘアゴムかわいいね。この学校には転校生が来ることはめったになく、ほとんどの生徒にとって倫子は初めての転校生だった。少し眉を八の字にした笑顔で質問に答える倫子を見て、俊哉は心底アホくさいと思った。
「あのさー、ドッジボールやるけど来る?」
俊哉が声をかけると、倫子は眉を上げポニーテールを揺らして頷いた。それ以来、倫子は俊哉に懐いたかのようによく話しかけた。くるくる表情の変わる倫子が面白くて、俊哉もよくくだらない話をした。ちょっと仲のいいクラスメイトくらいの距離感を保ちながら。

その小学校では2年ごとにクラス替えがあり、小5に上がるときに倫子と俊哉のクラスは分かれた。家の方角も違う上、違うクラスになると、話すことどころか関わることはない。それが小学生の世界だった。倫子も俊哉も、それぞれのクラスで日々を過ごしていた。
6年生に上がった、修学旅行の夜のことだった。旅館のどの部屋でも、男女クラスを問わず、「もうアレが来たか」と「誰が好きか」というふたつの話題で盛り上がっていた。倫子は枕を抱きかかえ、あくびをかみ殺しながら相槌を打っていた。
「りんりんは誰が好きなの?」
突然呼ばれた倫子はびっくりした。今日、全員で集合写真を撮るときに見かけた俊哉の形のいい後頭部と、つやのあるしっかりした髪を思い出した。
「わたしはよくわかんないや」
「えー、りんりんはとっしーが好きなんじゃないの?1組の」
4年のときも同じクラスだった美沙がはやし立てる。倫子はなんとなく、あのどこにいても見つけられそうな好ましい後頭部が汚されたような気がして言い返した。
「美沙っちゃん何言ってるの、としやんはそういう感じじゃないよー」
そう言って倫子は抱えてた枕を美沙めがけて投げた。
「枕投げやろうよ!」
やったなー、と美沙が枕を投げ返してくる。他のクラスメイトも倫子に枕を投げてくる。きゃあきゃあと大声を上げて枕投げをしていたところに、教師の怒号が響いた。

「としやん、久しぶり」
中学は毎年クラス替えがある。クラス分けを貼り出した掲示板の前で、少し身体に馴染んだ学ランを着た俊哉は後ろを振り向いた。としやん、と呼ぶ人間はひとりしかいない。
「おう、倫子じゃん。クラス一緒だぞ、ほら」
「あ、ほんとだー。小5からずっとクラス別でとしやんいないのにさ、ずっと後藤じゃなくて倫子って呼ばれてたんだよ」
「俺も。まー、また同じクラスになったしいいじゃん」
「そうだね」
俊哉の声は少し低くなり、倫子の胸は少し膨らんでいた。

苗字が同じこともあって、倫子と俊哉は同じ班になった。掃除の時間に「ちょっと机持ってー」と言う倫子は懐かしい顔とポニーテールだったけど、ヘアゴムは黒い飾りも何もないものになっていた。セーラー服の襟のラインで、くるくると巻いたくせ毛が揺れるポニーテール。それはどこにいても俊哉の目を引いていた。クラスが違っても、制服を着るようになっても、廊下や運動場や渡り廊下で。
倫子と俊哉の班は仲が良かった。男女がよそよそしくなる年頃ではあったけど、倫子と俊哉のやり取りにつられて他のメンバーも同じように話すようになっていた。
「ね、一緒に夏祭り行こうよ」
終業式前日の大掃除中、廊下にワックスをかけながら美沙が言った。夏休み前のこの時期、学校はいつにも増して賑やかになる。休み前のハイテンションに加え、夏祭りに誰を誘うのかという話題でみんながそわそわするのだ。夏祭りは終業式翌週末に行われ、神社の沿道から川べりまで出店が並び花火も上がる。この街の一大イベントだ。
「お、いいじゃん。行くか」
「行く行く!」
倫子も俊哉も、班のメンバーたちも、モップやバケツを片手に待ち合わせを決め始めた。大掃除終了を告げるチャイムが鳴る。慌てて掃除道具の片付けを始めた。

待ち合わせ場所に早めに来たのは、倫子と美沙と俊哉と工藤だった。
「りんりん、浴衣着たのにいつもの頭なの?」
美沙はピンクの浴衣と黄色の帯に合わせた黄色い花の飾りを頭に着けている。
「だって、お祭りだと人いっぱいいるでしょ。しかも制服じゃないからわかんないじゃん。でも、いつもと同じ頭だったら、わたしだってわかるでしょ?」
「うーん、わかるようなわかんないような」
俊哉はなんとなく、倫子の言っている意味がわかったような気がした。紺の浴衣に赤い帯を締め、いつも通りの学校指定の黒ゴムでポニーテールにした倫子が真剣に話すのを見て、俊哉は思わず笑い出した。
「えっ、としやんどうしたの」
「やっぱ倫子面白いなーって」
「え、そう?ありがとう」
倫子の笑顔にどきっとしたのは、たぶん見慣れない浴衣のせいだ。俊哉はそう言い聞かせながら、くるくると巻くポニーテールを見ていた。

「倫子のせいだぞ」
「だ、だって、ごめん」
全員揃ってから、花火までの間に神社にお参りし出店を冷やかしていたときのことだった。りんごあめが食べたいという倫子に付き合った俊哉は、そのままふたりではぐれてしまったのだ。沿道は人の流れが強く、とても遡って探すことはできない。りんごあめを片手に俯く倫子の浴衣の右の袖を、俊哉は引っ張った。
「その頭ならたぶん、川沿いに行けば見つけてくれるだろ?とりあえず、俺たちだけでもはぐれないようにするか」
「あ……」
「どうした?靴ずれでもしたのか?」
「ううん、ありがとう」
倫子の手はりんごあめを、俊哉の手は倫子の袖を持ったまま、川沿いの少し開けた場所まで歩いた。祭太鼓が聞こえ、提灯が揺れる中を、ふたりで。
「なんかさ、中2って特別な感じがするよね」
さっきまでしょぼくれていたのに、楽しそうに倫子は言った。
「わかるかもしんない。中途半端な感じが特別っぽい」
「でしょでしょ?としやんならわかってくれると思った」
足を止めると、あたり一面が一瞬ぱっと明るくなり爆発音が聞こえた。
「あ、花火始まった!」
倫子と俊哉は顔を見合わせて少し笑って、花火のほうを向いた。倫子は花火を見ながら、りんごあめのビニールを剥いて食べ始めた。倫子のりんごあめの食べ方は変わっていた。舌を出して飴をぺろりと舐めるのではなく、唇を寄せて飴を吸うように舐めていた。花火に照らされて、食紅で赤く染まり飴でコーティングされた唇がつややかに光る。それは、女子がこっそりつけている色付きリップクリームより口紅の広告より何より、俊哉の目には蠱惑的に映った。袖を握る手に力が入る。
「食べる?」
俊哉の顔の前に、倫子はりんごあめを突き出した。
「え、何で?」
「だって、花火もロクに見ないでこっちばっかり見てるから、食べたいのかなって」
「ああ、じゃあ、ひとくち」
戸惑いながらも俊哉は、倫子のように唇をつけて飴を舐め取った。ねっとりと、喉に食道に胃に心臓にまとわりつくような甘ったるい飴。
「としやんの唇、真っ赤になってる」
笑った倫子の後ろで、4号玉が弾けた。

8月の登校日に、倫子の姿はなかった。髭の濃い顎の割れた担任は、倫子が親の都合で転校したこと、終業式の後に急に決まったことを告げた。
「先生、わたし聞いてない!」
思わず美沙は大声を上げた。教室は騒然としていた。俊哉は、唇にあの赤く甘ったるい飴の味を思い出していた。赤く甘ったるい飴は血液に溶けて全身を巡り、俊哉の情動を突き動かした。祭太鼓の音、いつものポニーテール、紅く染まった唇、弾けた花火、笑った顔。つい2週間位前のことを昨日のことのように思い出せるのに、倫子の机は主を失っていた。俊哉は立ち上がることもできず、思わず突っ伏した。
倫子の行き先は誰も知らなかった。担任も、「倫子さんから言われてますから」と行き先を教えることはなかった。新学期になって班替えがあり、冬服になり、コートを着る季節になり、倫子の気配は教室から薄れていき、終業式を迎えた。初詣から帰りポストを覗いた俊哉は、家族の分も抱えて自室へ駆け上がった。親宛、親戚からのもの、歯医者から、クラスメイトから、そして倫子から。
「としやんへ。
 急にいなくなっちゃって、ごめんね。
 転校してきたときから、としやんのおかげでずっと楽しかったよ。
 本当にありがとう。 
 またね。 倫子」
差出人の名前もなく、年賀状には消印もなかった。小さく描かれたりんごのイラストが、あの日の唇のように笑った気がした。


「としくんの実家のお祭り、けっこう大きいんだね」
実家に挨拶に行った帰りに、どうしても寄りたいとせがんだ婚約者と一緒に、俊哉は祭りに来ていた。
「帰りの新幹線の時間もあるから、花火までは見れないからな」
「花火もあるの?なんだー、じゃ来年はとしくんのご実家に泊まりで来ようよ」
婚約者の声の後ろで、祭太鼓が鳴っている。一瞬、ポニーテールが揺れたような気がして、俊哉は振り向いた。
「どうしたの?」
「いや、地元の友達がいた気がしたんだけど違ってた」
「そっか、会えたらよかったのにね。あ、りんごあめ売ってる」
りんごあめの屋台に向かおうとする婚約者を、俊哉は止めた。
「帰りの新幹線で食うわけにはいかないだろ?また帰ってからどっかの祭りで買ってやるから」
「わかった、約束ね」
俊哉は、浴衣の裾ではなく薬指に一粒石の光る左手を握ったまま、駅方面のバス乗り場を目指す。提灯が、手を振るように揺れていた。

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