果てのような屋上で
2月22日、猫の日。飛び石連休の平日に、通院休暇を取った。通院前に矢場町から栄を歩いた。パルコの最果タヒ展に行き、お昼を食べ、ヨドバシに行き、松坂屋の九州物産展をちらっと見て、そういえばここって屋上あったよね、と屋上庭園に出た。
そこは明るくて、そして誰もいなくて、簡単に果てを感じるのにはぴったりな場所だった。
アンパンマンカーが「ぼく、アンパンマンカー!ぼくに乗ってみませんか?速いですよ!」と話しかけてきたのでとっさに断ってしまった。
テントの中に入ってみた。
夫は100円で11枚のコインを引き換え、パワプロクンのゲームに興じていた。わたしもやらせてもらったんだけど、ただ来た球を打つだけのシンプルなゲームで、そしてどんくさいわたしでもどうにかなるくらいであった。パワプロクンで稼いだコインをコイン落としに突っ込み、ちょろっとクレーンゲームで遊び(わたしは空間認知がからっきしなので夫がやるのみであった。そして何も取れなかった)わたしたちは意外とこの屋上庭園を満喫した。
誰もいないと書いたけど、たまに親子連れが来たりもして、今でもこの屋上庭園が元気であるということを感じさせた。何しろクレーンゲームの景品がずらりと鬼滅の刃だらけ、すみっコぐらしもいくつかあり、こんな張り紙まであったのだ。
さすが、昭和、平成、令和の三時代を生きている屋上庭園である。面構えが違う。
年齢一桁の時代以来数十年ぶりに松坂屋の屋上に足を踏み入れたけど、そこは下のフロアや雑踏からまるっきり切り離された時間が流れる、まさに非日常だった。真っ青な空の下でさまざまな時代が混ざり合うこの空間を、果てのようだと思いながら、わたしは思った以上に気に入ってしまった。また、平日午後に来れることがあったら来てみたい。そしてまた、非日常の中で、感情と感傷がぐらぐらとするさまを感じてみたい。