さらさら録

日々のさらさらの記録

2011.03.11の前後1週間を辿って


助けあいジャパン Tweets 3.11
このサイトから、当時使っていたツイッターアカウントのツイートを覗いてきた。
その中からせっかくなのでサルベージして残しておこうと思う。長くなったけど。
その頃の暮らし、その頃感じたこと、その頃リツイートされたことなんかを、多少時系列を整理して、補足説明を入れながら。
フラッシュバックにはご注意ください。


2011.03.10





実はこの日入院していた。外傷で植皮手術を受けていた。当時は迷機IS03ユーザだったので出たばかりのAndroidアプリをいろいろ試していたけど、まさかのフラグを立てていた。


2011.03.11


そしてこの日退院した。午前中退院して、当時一人暮らしだったわたしは実家で昼寝していて急激な揺れに目を覚ました。




リビングへ飛び出してつけたテレビには信じがたい映像が映っていた。







不謹慎と思われるかもしれない。ただ、リアルタイムで見ていたテレビの向こうに押し寄せる津波はただただ現実感がなくて、そこにヒトがいるとなぜか考えられなかった。津波の映像がトラウマ化したのは、その後事実を知ってからである。

タイムラインが恐怖に包まれたのはこの頃。関東のフォロワーさんが多いこともあって、帰宅難民が大量発生してパニックになっていた。わたしはわたしで、彼らに「大丈夫」とリプライを送りながら、できることを必死にしようとしていた。



たぶんわたしはずっと、自分に言い聞かせていたのだろう。恐怖と不安、そして宮城の友達の安否。


その後少しして彼女の情報は途切れる。


2011.03.12


パニック障害に基づいた情報を発信していた。少しでも気持ちが和らげばいい、どこかに届けばいい、そう思いツイートしながら自分も指の感覚を確認していた。




何とか少し眠って、元々通院日だったメンタルクリニックに向かった。これは今流行りの「日本SUGEEEEEEEEEEE」ではなく、「日本はきっとだいじょうぶだから!負けないから!」という意味合い。


何もできない自分がつらかった。連絡の取れない人もいる、今もまだ関東で家に帰れてない人がいる。あまりのことにニュースから目を背けた自分がいる。怖くて歯がゆくて自分を責めていた。その気持ちを主治医に話した

クリニックで一通り泣いたわたしは、自分にできることをしようと思って、そのとき出回っていた「献血に行こう」というツイートの真偽を確認するべく献血ルームに行った。


献血で大事なのは、非常時の献血ではなく日常的な協力なのだとこの前会社に来た献血車の方に聞いた。血液には有効期限があるから、何かあったときだけ増えても受給バランスが崩れるだけなのだそうだ。


そしてとにかく話したことのあるフォロワーさんに「だいじょうぶ」とリプライしていた。それが自分を保つ方法でもあった。


これは自分の当時の仕事で得た知見から。ガス給湯器の燃焼器が爆発すると修理も大変だし費用もかさむし部品もすぐ用意できなかったりするので、今でも気をつけて欲しい。


2011.03.13


びっくりしたけど外から見たらそうだったのかもしれない。


この後自分が仕事で必要な物が買い占めで入手できなくなる事態が起こる。



密かに『あ、安部礼司クラスタなのでTOKYO FMをtsudaっていた。今読んでも有用なことが書いてあった。
この日あたりから、タイムラインが人々を和ませるほうに向かっていて、わたしも乗っかっていた。





ちなみにEカップではありません。


映画の内容差し替えってたびたび起こることだけど、この時ほど因果を感じたことはない。


2011.03.14


入院休み開けと震災後で早めに出社している。地下鉄のホームは静かだった。出社したわたしを待っていたのは、鬼のような書類の山と本社からの嫌味だった。術後の脚をそろりそろりと動かして仕事をしていた。


仕事をしていても、泣くのをずっと堪えてた。




枝野寝ろと言いながらも心細くて、名前を読んで欲しかった。名前って思ってる以上に力のある言葉だ。



当て逃げというのは前年の通勤途中に当て逃げに遭って右足甲を骨折し松葉杖生活をしたこと。


2011.03.15

落ち着いてきたようで、まだ落ち着いていない。



中抜けしてガーゼ交換に向かった病院で心が痛んだ。


この頃から今も変わらないメンタリティを発揮している。いたずらにトラウマを刺激することが報道ではないよ。


この時の困り事は本社から「おいしい食事が出てそこそこのお酒がある会場を食事会用に探してくれ」というミッションだった。「そんなことしてる場合か」「その金募金しろ」などと不謹慎厨からリプが来るのが怖かった。




この日静岡東部を震源とする地震があった。全然大丈夫ではない。落ち着くべきである。


この頃デマとの戦いに疲れ果てていたんだけど、このときの静岡東部の地震で「東南海地震の予兆だ!」というデマがタイムラインを巡ってさすがにうんざりした。愛知に生まれ育ったおかげで地震教育は受けてきているんだけど、この状況で不安を煽るのはさすがに我慢ならなかった。


2011.03.16


仕事のことをまったくツイートしないのもいいけど、断片を書き残しておくと後から当時の状況を知ることができると今気づいた。

この日、昨日今日のように雪が降っていたようだ。


懐中電灯用に単一電池が必要な仕事なんだけど、ストックを使い切って買おうとしたら買い占められててなくて途方に暮れた。会社近くと自宅近くと行ける家電量販店・スーパー・コンビニに行ったけど全部なかった。翌日福岡営業所に譲ってもらって事なきを得たけど、このときはどうなるかと思った。

あれから、今日でちょうど4年経った。

仕事で単一電池が必要なのに(しかも地震の関係で)買えなくて困ったのを思い出した。あの電池たちはどうなったんだろうね

2015/03/11 20:26


このツイノベルは、この本に収録された。献本を1冊もらったのみで、印税はすべて寄付へと充てられた。




☆ * ☆ * ☆


当時、連絡が取れなかった宮城の友達とは少し後に連絡が取れた。Google Personfinderに彼女を登録して情報を追う日々が2週間近く続いただろうか。今でも彼女とは仲良しだ。
また、当時のツイートをサルベージしていると、この頃から消えてしまったひともいればアカウント転生してもずっと仲良くしてくれているひともいて、改めて重ねてきた歳月を実感した。無事に生き延びて、念願叶って会えたひとたちもいた。
わたしは当時勤めていた会社がなくなり、別の会社に行き、そこでパワハラから心身を壊して退職し、また別の会社で今日黙祷を捧げた。

当時ツイ廃だったこともあるけど、こうしてツイートを残しておいてよかった。読み返せば、わたしの中では当時の感覚が蘇る。自分の中で風化しないように。そう願い、備忘として書き留める。


トピック「被災」について

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