さらさら録

日々のさらさらの記録

自己分析中毒に要注意、最悪死ぬ

相変わらず転職活動をしている。これで落ちた会社は約80社。もうカウントする気力もない。また改めて無職(求職)日記は書くけど、今日はちょっと別の話。

面接までどうにか漕ぎ着けると、される質問があまりにもパターン化されていることに気がつく。
「大学卒業からこれまでの経歴を説明してください」
「◯◯社で行っていた業務について詳しく聞かせてください」
「あなたの強みと弱みを教えてください」
「◯◯社での業務から得たスキルを教えてください」
「◯◯社を退職した理由を教えてください」
「あなたは人からどのように評価されていますか」
あまりにも面接がパターン化されているにも関わらず、面接で落ちている。紹介予定派遣で同席してくれたエージェントさんに「完璧、これだけ喋れる人はそんなにいない。どこもフォローするところがなかった」とまで言われても落ちている。落ちると今度はどうするかというと、質問に対する返答を見直すことになる。返答が悪かったから落とされたんじゃないか、そう考えるのだ。その結果、職務経歴書を書くときにも散々行い、面接対策での想定問答を練る際にも行った自己分析をまたすることになるのである。

こう書くと、PDCAサイクルを回しているように見えるかもしれない。しかし、この自己分析というPDCAサイクルは、降りられないハムスターの回し車のようなものなのだ。
自分の言葉で話せるよう想定される回答を練る

面接に臨む

不採用になり面接の何が悪かったのかを考える

再度自己分析を行う

自分の言葉で話せるよう想定される回答を練る…(略)
自己分析PDCA回し車の怖いところは、自己分析と称して自分に向き合い続けなければならないところ。不採用になると、自分の何がダメだったのかという基準を出発点として自己分析を行うことになる。すると、自信や自己肯定感なんてものは削れていくし、自分の悪いところしか見えなくなってくる。不採用が続くと、どんどん余裕がなくなってくる。余裕がない状態で行う自己分析なんてものは冷静に客観視できてるわけではもちろんないし、余裕がなくなればなくなるほど自分がダメ人間にしか思えなくなってくる。そんな状態で面接に臨んでいい結果が出るはずもない。そしてまたネガティブな自己分析が始まり、降りられない回し車を回し続けることになるのだ。

わたしは、これを自分の中で自己分析中毒と呼んでいる。
自己分析しすぎて、精神が徐々に崩れていっている状態。

自己分析中毒は降りられないハムスターの回し車のようでもあるし、延々自分の映る鏡に話しかけているようでもある。鏡に映る自分に向かって「お前は誰だ」と尋ねると精神崩壊するという都市伝説があるけど、自己分析中毒状態に陥るとずっと鏡の自分に「お前は誰だ」と言い続けているようなものだ。それは傍から見たら異様だし危険な行為であるはずなんだけど、しかし世の中はとにかく自己分析を強いてくる。わたしが自己啓発の類に懐疑的なのはこういった理由から来ている。
自分に向き合う、というととても聞こえはいいし前向きな行為のようにも思える。だけど、本当は大きなリスクを伴う行為でもある。壁の1点を凝視しているとだんだんそれが何かわからなくなってくるように、自分と向き合い続けるとだんだん逆に自分がわからなくなっていく。しかも、壁の1点は元々実体を伴っているけど、自分の内面というものは実体を伴っているわけではない。向き合うことでダメな自分のイメージが重なれば重なるほど、内面自身がそちらに引き寄せられていってしまう。崩壊へと引き寄せられていっている、と言っても過言ではない。タイトルの「最悪死ぬ」は大袈裟なことじゃなくて、自己肯定感をなくすどころか自己分析が自己否定へとすり替わっていった結果、自殺に繋がることだって否定できないのだ。

わたしは今、完全に自己分析中毒に陥っている。
幸い、友人の言葉などで少しずつ自分のいいところを探せるようにはなってきたけど、それでも友人の言葉を否定して「いや、わたしはそんなちゃんとした人じゃない!ただのダメ人間なんだ!」と言ってしまうこともある。友人の好意を踏みにじってしまうというのに。
どうしたら、この回し車から降りられるんだろう。鏡の自分に問いかけなくて済むようになるんだろう。わからない。


まだ、自分に向き合わないといけないですか。

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