さらさら録

日々のさらさらの記録

愛せないけど、愛したいんだ

昨日見た久保ミツロウ先生のツイートがずっと頭に鳴り響いてた。久保みねヒャダでお聞きするあの声で。

とても力強くてシンプルで優しく明るい言葉だった。このツイートが目に飛び込んできた瞬間、声を上げて泣きたくなった。


たぶんブログにも書いてると思うしツイッターはてブには散々書いているけど、わたしは自分をうまく愛せなくて、自己肯定感も持てないままに生きている。わたしが自分の中で愛せているのは、この感性と手の爪の形くらいかもしれない。


だけど、わたしはあらゆるものを愛おしいと思うし、愛している。日常生活のふとした瞬間の端々に、切れ切れに、わたしは自分の中に宿る愛おしさを見つけ出すことができる。それは人だったり、言葉だったり、音楽だったり、環境だったり、食べ物だったり、雰囲気だったり、天気だったり、自然だったり、あらゆる場所に細かにわたしの愛の欠片は存在している。そうした欠片を愛おしいと思うとき、この世界はとても輝いて優しくて、この世界をも愛していると思う。
それは、かつて何度も自分を傷つけぼろぼろのずたずたにして、自分の存在を拒んだこの世界への赦しでもあり、そして逆に愛することでこの世界から赦されているのかもしれない。


愛って何なのかわかんないし説明もできないけど、それでもわたしは愛してる。


自分を愛せてなかったら、今わたしが愛しているものも全部嘘なの?ううん、きっとそんなことない。それに、そんなに簡単に割り切れることでもない。簡単なものだったら、愛を巡って争うこともないだろうし、愛について古今東西で膨大な言葉が残されることもないだろうし、こうしてだんだん記事がスピリチュアルじみてくることもない。不可解だからこそ、きっと知りたがるし欲しがる。これ以上愛について深堀りすると本当にきりがなくなってしまうので、「わたしの心が感じるもの」に留めておこうと思いますが。
いろんな人やものやことを愛おしいと思える自分の感性を、わたしは愛している。自分全体を愛することや肯定することができなくても。「自分を愛していなかったら他のものを愛せない」なんていうクソ理論もあるだろうけど、「他のものを愛しているからこそ自分を愛せる」ということだって、同じようにあっていいんじゃないかな。

…と、ここまで書いていて、わたしは「自分を愛せない」「自分を肯定できない」ことを受容できてるんじゃないだろうか、と思った。その「心の穴」を受容してるからこそ、愛せてるのかもしれない。

心の穴についてはこちらの本で。
実は文庫化前の「恋とセックスできれいになる秘密」は電子書籍Readerのキャンペーンで買って読んでるのに、文庫改訂版は完全に積ん読状態なんだけどね…。



100s 『まごころに』 - YouTube

愛したっていいから、
愛したっていいから、
愛したっていいから、
そのまごころに抱えていたものを。


愛したっていいから、
愛したっていいから。
本当の「幸せ」とは、
ここからさ、見える「ありきたり」だ。

「世界のフラワーロード」の中でも、いや100s名義の中でもかなり好きな曲。

そうなんだよ。
愛したっていいんだ。
とってもシンプルなことだ。

実は、わたしは長らくこの歌詞を「愛したっていいから、愛されなくていいから、愛したっていいから」「愛したっていいから、愛せなくていいから、愛したっていいから」と聴き間違えていた。「おうおう、自分を愛せなきゃ人から愛されないなら、愛されなくたっていいよ。自分を愛せなくても、感じたものを愛してやるさ」と勇ましく息巻いていた。聴き間違いだったわけだけど。


いや、でもやっぱり愛されたいとは思う、思うよ。自分を愛せないことに苦しんで毛布をかぶって声を押し殺して泣く夜だってあるよ、何度だって。だけど、それ以上に自分の心が思ったことをそのまま素直に愛したいんだ。


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