冴え冴えとしてしまう
月初は仕事が忙しい。
元々月初はデスクワークもそれ以外の身体を動かす業務も忙しく修羅場を極める。今回、他の会社より正月休みが長かったこともあり、今までの月初を修羅場と言っていたのがどれほど生ぬるいか思い知った。
何度も階段を上り下りし、1日に伝票数百枚を処理して、心身ともにくたくただったわたしはゆっくり湯船に浸かり11時には布団に入った。いつもの、眠気を誘う薬も飲んで。枕に乗せているタオルに寝香水を一吹きして。あずきのチカラのホットアイマスクも目に乗せて。
なのに、ちっとも眠れなかった。むしろ頭は冴え冴えとしていた。カフェインも15時以降は口にしていないし、足は棒のようだし、腕はだるく重く握力をなくしていた。冴え冴えとした頭で、わたしは睡眠を心から欲していた。眠れない。抱き枕を抱えて左向きに丸まってじっとしていた。
ふと、過去のことが現実のような感覚で蘇った。あまりにも幸せで少し悲しかった夜のことや、穏やかに温かかった夜のことや、何も言えなかった朝のことが。気づいたら涙が自然と落ちてバニラの匂いのタオルに吸い込まれていた。どうして泣いていたのかはわからない。独りのベッドで涙をこぼしながら、顎関節症用のマウスピースをぎゅっと食いしばった。
いつの間にか少し寝ていて、3時半に目が覚めた。体温計のアラームまでは2時間半あり、最後に時計を見たのは1時頃だった。頭はやっぱり冴え冴えとして、いつもと同じシングルベッドはやけに広々としていた。自分の呼吸の音一つしない暗闇の中で、思考の渦が静かに巻いていた。
この独りきりの夜は自分で望んだものなんだろうか。触れることと触れられることを怖がり遠ざけた結果だとしたら、それは望んだものになるのだろうか。
伝えたいことがあったはずなのに、何を誰に伝えたかったのかを思い出せない。そうしていくつものことを置き去りにして生きてきた先にこの夜があるのなら、一体何度こんなことを繰り返せばいいのだろう。握りたかった手の形も温もりも思い出せず、ぎゅっと握りこぶしを作った。
人間に、さみしさのチューニングを合わせる機能があればいい。こんな夜にチューニングを合わせたら、同じように眠れず悶々と考え事をしている誰かと、ひとときだけでも通い合わせることができるかもしれない。馬鹿げているかもしれないけど、半ば本気で考えていた。
次から次へと思考は展開して、再度眠ることができないまま、明けるのがまだ遅い朝を迎えた。こういう夜のあとの朝はなんであんなに嘘くさいんだろう。やけっぱちになってテレビ体操をして顔を洗った。
今日は昨日以上に忙しく、明日のタスクも山積みだというのに、眠気の気配もなくこの文章を書いている。昨日より今日が、今日より明日がよくなることは知っている。だけど、時計の針が進むほどに、知っているのに信じることができずにいる。