さらさら録

日々のさらさらの記録

「君」と「僕」の関係について

わたしが普段、短歌などの文章を書くときに使う「君」や「あなた」は恋愛感情の対象に限定していない。むしろ、なぜ「君」と書くと恋愛関係にのみ限定されるのか、よくわからないでいる。

と先日ツイートしたけど、去年にも同じようなことを言っていた。

「君」や「あなた」には友人も家族もその他ありとあらゆる人間関係を内包できるだけの言葉であると思うのに、どうして恋愛関係の中で解釈されてしまうんだろう。恋愛という枠を外してみたら、もっと解釈の幅が広がるのに。書き手側の幅だって広がるのに。それとも、これが恋愛至上主義ってことなんだろうか。わたしが恋愛をすべてとしない人間だからよくわからないだけなんだろうか。わたしが友人に対して「君」や「あなた」と日常的に使うからなんだろうか。それとも単に、恋愛としてしまったほうがわかりやすいからなんだろうか。恋愛というわかりやすい人間関係ばかりを積み上げてきた結果、恋愛しか思いつかなくなってしまうんだろうか。
このあたりを掘り下げてみると面白そうだけど、今はちょっとそこまでの気力が回らない。

わたしの好きな曲に、GRAPEVINEの『想うということ』という曲がある。
GRAPEVINE 想うということ 歌詞 - 歌ネット
この歌は「君」に語りかける歌なんだけど、やはりこれも恋愛と規定されてしまうのだろうか。

君が何かを想ってぶつかるなら
明日には ええ 明日には 消えそうです

君に足りないものがもしあるなら
他人(ひと)には そう 他人には見えない

ここまでなら恋愛として想う相手のことかもしれない。だけど、

君が誰かを想って生きてるなら
明日には ええ 明日には晴れそうです

君が何かを想って痛むなら
いつになく優しく振る舞えそうです

こう続くのだ。
この「君」と「僕」との関係に恋愛が介在していると考えることもできるだろう。片想いの相手に寄せられた歌だと。だけどわたしは、そうは思わなかった。自分が愛しく親しく想う友人へ向けられた歌なのではないかと。と考えると、「想う」という言葉それ自体も恋愛感情だけではないと気付かされるのではないだろうか。「想う」ということは恋愛だけでなく、愛しく想ったり気遣ったりするもので、それは決して恋する相手だけに向けられる感情ではない。

恋愛だけが人間関係のすべてではないし、恋愛だけが創作のモチーフになるわけでもない。男女がふたりでいたら、イコール恋仲もしくはどちらかが恋愛感情を持っているってわけでもない。もっともっと、恋愛から自由になればいい。「君」と「僕」の関係は、恋愛なんていうわかりやすいものじゃなくて、もっと曖昧でぼんやりとしていて名付けようのないものでいい。
だってきっと、そのほうが面白いから。

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