さらさら録

日々のさらさらの記録

果てのような屋上で

2月22日、猫の日。飛び石連休の平日に、通院休暇を取った。通院前に矢場町から栄を歩いた。パルコの最果タヒ展に行き、お昼を食べ、ヨドバシに行き、松坂屋の九州物産展をちらっと見て、そういえばここって屋上あったよね、と屋上庭園に出た。

そこは明るくて、そして誰もいなくて、簡単に果てを感じるのにはぴったりな場所だった。

 

f:id:negi_a:20210223154519j:plain

f:id:negi_a:20210223154554j:plain

f:id:negi_a:20210223154607j:plain

f:id:negi_a:20210223154618j:plain

f:id:negi_a:20210223154630j:plain

アンパンマンカーが「ぼく、アンパンマンカー!ぼくに乗ってみませんか?速いですよ!」と話しかけてきたのでとっさに断ってしまった。

テントの中に入ってみた。

f:id:negi_a:20210223154854j:plain

f:id:negi_a:20210223154907j:plain

f:id:negi_a:20210223154920j:plain

夫は100円で11枚のコインを引き換え、パワプロクンのゲームに興じていた。わたしもやらせてもらったんだけど、ただ来た球を打つだけのシンプルなゲームで、そしてどんくさいわたしでもどうにかなるくらいであった。パワプロクンで稼いだコインをコイン落としに突っ込み、ちょろっとクレーンゲームで遊び(わたしは空間認知がからっきしなので夫がやるのみであった。そして何も取れなかった)わたしたちは意外とこの屋上庭園を満喫した。

f:id:negi_a:20210223155244j:plain

 

誰もいないと書いたけど、たまに親子連れが来たりもして、今でもこの屋上庭園が元気であるということを感じさせた。何しろクレーンゲームの景品がずらりと鬼滅の刃だらけ、すみっコぐらしもいくつかあり、こんな張り紙まであったのだ。

f:id:negi_a:20210223155637j:plain

さすが、昭和、平成、令和の三時代を生きている屋上庭園である。面構えが違う。

 

年齢一桁の時代以来数十年ぶりに松坂屋の屋上に足を踏み入れたけど、そこは下のフロアや雑踏からまるっきり切り離された時間が流れる、まさに非日常だった。真っ青な空の下でさまざまな時代が混ざり合うこの空間を、果てのようだと思いながら、わたしは思った以上に気に入ってしまった。また、平日午後に来れることがあったら来てみたい。そしてまた、非日常の中で、感情と感傷がぐらぐらとするさまを感じてみたい。

ショコラテリーヌとオランジェット

今年のバレンタインデーはショコラテリーヌを焼いた。恋人時代、1度目のバレンタインデーには高島屋のアムール・ドゥ・ショコラで購入したボンボンショコラを贈り、次のバレンタインデーには市内のショコラトリーで購入したボンボンショコラを贈った。今年も買おうかと思っていたんだけど、繁華街に行くのもなぁと躊躇ってしまい、ならば作ればいいと思い至った。ショコラテリーヌにしたのはわたしが好きだからだ。一緒に住んでいるので渡すも何もない、これは一緒に食べるためのお菓子。


f:id:negi_a:20210216201925j:image

 

ちょっと混ぜが足りなかったけどおいしく焼けた。前日に製菓用ブラックチョコレートを買いに行ったらぜんぜんなく、最後の1袋だった苦労も報われた気持ちだ。

ショコラテリーヌを食べ、二人でごろごろしていたときにふと思い出して夫に尋ねた。「そういえば、わたしへのチョコあるの?前用意するって言ってた気がする」と。夫は舌を出して「えへ」と言った。そっかー、まあ忘れることもあるよね。そう言っていたら、夫は「えへ」と言いながら隣の部屋へ行き、収納の奥から紙袋を取り出してきた。取り出してみるとその中にオランジェットの小箱が入っていた。オランジェットはわたしの好きなチョコレートである。夫よ、ありがとう。わたしは猛烈に感激し、そして「一緒に住んでいるので渡すも何もない」と思っていてごめんよ……と思った。結局最後は二人で食べるんだけど。


f:id:negi_a:20210216202525j:image

 

バレンタインデーは夫とわたしを引き合わせるきっかけになった日ということもあり、お互いチョコレートを贈り合っている。これから、どれだけのチョコレートをふたりで食べられるだろう。一粒でも多く食べてみたい、そう思う。あ、でも、たまには自分のためにチョコレートを買いたいとも思う。最後にはふたりで分け合うとしても。

流れていく

昨年7月にブログを更新してから、何も書けないまま毎日を必死で暮らしていた。あっという間に時間は流れ、年を越え、そしてとうとうわたしはダウンした。頭痛がちになり、苛立ちは募り、勝手に涙は流れ、毎日ADHDの薬であるコンサータが切れる時間に寝込み、頭にもやがかかって仕事も短歌も何もできなくなった。しばらく休んだら復活したのでよかったけど、しばらく休んだことで気づいたのだ。

流れていった時間について、ほぼ何も残せていないことに。

そんな余裕がなかった、と言ってしまえばそれまでだけど、それにしても、だ。

 

振り返ってみると、ほんとうにいろいろなことがあった。引っ越し、同居、結婚だけでなく、ここに書けないことも多々あり(決して夫婦の危機というわけではない)、日々は選択の連続だった。選択、そう選択。たとえば、雨が続く日に洗濯をどうするかといった些細なことから、緊急事態宣言宣言下の引っ越しを決行するかといった選択、あるいはそれ以上に大きな選択まで、とにかく選択し続けた。

選択をするということは、気力を消耗することでもある。悩んで悩んで選んだり、衝動的に選んだり、そんなふうにして選んできたとしても、選ばなかった選択肢のことを考えて動けなくなりそうになることもある。

そうして選び続けてきた間にも、時間は着実に流れていた。

 

考えていた。選ばなかった道のことを、選んだ道のことを。

考えては、いつだって同じ場所に着地した。選んだ道が正しかったかどうかはわからない、でも正解に近づくように生きていくことはできるのではないかと。 流れていく時間の中で、それでも流れていかないもの。わたしは、生きていくしかない。かつてのわたしの選択を、正しいほうへ近づけていけるように。

 

f:id:negi_a:20210209210303j:plain

そして、思いが流れていかないよう、もう少し書き留めていけたら、とも思う。

 

お題「#この1年の変化

(c)2015 nagisarasa All Rights Reserved.