さらさら録

日々のさらさらの記録

結婚しました

今年に入ってから、コロナ禍のさなかの引っ越しなどで怒涛の日々が続き、ブログを書けないままにこの日を迎えてしまった。

ということで、結婚しました。 

 


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「結婚しないと言っていたなぎちゃんが結婚なんて感慨深いわぁ」と友達に言われて、とてもあいまいに笑った。そう、わたしは独りで生きていくつもりだったのだ。泥水をすすり、もがきあがくような20代を経て、自分の足で立って、ささやかながらも生きていけるようになろうと決めた。そして、探り探り歩みを進め、そろそろ自分の足で立って生きていけるな、と思い始めた矢先にパートナーが現れた。「現れた」としか言いようがなかった。

 

名古屋で生まれ育ち、名古屋に暮らすわたしの前に「現れた」パートナーは、山形に生まれ育ち大学から関西で暮らしていた。知り合ったきっかけは短歌で、のちのパートナーが名古屋で開いた歌会にわたしが参加したことがきっかけだった。それまで短歌の場に出ることが怖かったわたしは、その歌会ですっかり短歌の場の楽しさを覚え、そこからどんどん短歌の場やイベントに出るようになった。のちのパートナーが名古屋で歌会を開いてくれたなかったら、今のわたしと短歌はなかったと確実に言えるので、その時点でのちのパートナーには心から感謝していた。

 

しかし、パートナーになるとはまったく予想していなかった。歌会の翌年にデートに誘われたときは心の底から驚いた。それまで特に何もやり取りをしていなかったから。だけど、デートに行ってみると、沈黙すら心地よくてまた驚いた。何もがんばらなくても、取り繕わなくても、一緒にいると楽しい。きちんと呼吸ができる。あ、このひととなら、きっと楽しい。その直感にしたがって、わたしたちは交際をはじめた。このブログに2018年から登場している同行者こそがのちのパートナーである。

 

離れた場所に住むパートナーと交際していくうちに、「結婚してみたい」と思うようになった。「結婚したい」ではなく「結婚してみたい」。他人とパートナーシップを結び、ともに暮らしともに生きるとはどういうものなのだろう。パートナーとなら結婚してみたい。パートナーとふたりで生きてみたい。仕事が終わって家に帰って、パートナーと一緒にごはんを食べて、一緒に野球やアニメを観て、一緒に眠って、そんな風に過ごしてみたい。そう思うようになったところにプロポーズされ、一緒に暮らす準備を始めた。

そして、わたしは結婚した。

 

安心なんて、したことがなかった。いつだって強い不安の中にいた。ずっと何かが怖かった。家にいたって、ずっと「帰りたい」という気持ちを抱いていた。家大好き人間として家に閉じこもっているときも。どこに帰るのかなんてわからない、ただどこにいても帰りたいという気持ちを拭えなかった。わたしのたましいは根無し草で、どこにもたどり着くことなんてないんだ。そう思いながら生きていた。わたしのたましいがそうであるなら、それを引き受けて生きていくしかないとも思っていた。

パートナーと暮らすようになってから2ヶ月以上が経つ。その間、帰りたいと思ったことは一度もなかった。パートナーと住む、公園の近くの2DKのマンションは今のわたしの帰る場所で、そしてその場所は安心できる場所となった。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、パートナーと暮らすことで、わたしは安心の意味を知った。誰もわたしを否定しない、誰もわたしを傷つけない、安心して眠れるような拠り所となる場所がこの世にあったなんて。

そして、わたしがそのような関係性を築けるようになったことに、わたし自身が泣きそうになってしまう。過去、恋人との距離をうまく取ることができず、すぐに壊してしまっていたわたしは、だからこそ独りで生きようと思っていた。自分の足で立てるようになるまでは、恋愛をしてはいけない、と。今のわたしは、探り探りではあるけど、自分の足で立って歩いていける。誰かに寄りかからなくてもある程度自分の感情を引き受けることができるし、思っていることを言葉にして伝えられるようになった。そんなわたしになったから、パートナーと関係を積み重ねられた気がしている。

 

わたしのたましいは、たどり着く場所を見つけたんだろうか。まだわからない。またいつかひゅっと根が離れてしまうかもしれない、また強大な不安が復活してくるかもしれない、という思いは心のどこかにある。だけど、だからこそ、わたしはこの場所を守るために努力を惜しまないことを誓う。

パートナーとわたしは、夜寝るときいつも必ず手をつなぐ。手は、つなぐことより、離さないことのほうがきっとうんと難しい。パートナーもわたしも、独りでだって生きていける。だからこそ、つないだ手を離さずに生きていきたい。

手をつないで、言葉を尽くして、わたしたちは今日からふたりの形をつくっていく。

 

ほしいものリスト

 

週報 12/22-12/31

12/22

年賀状を書く。絶対に書き損じてはいけない年賀状を完成させたあと手でこすってしまい、滲んで書き直すなどする。年賀状を書くテンションを上げようとアレクサに「テンションの上がる曲かけて」と言ったらテンションが上がるジャズのプレイリストをかけてくれたんだけど、その1曲目が中学時代に部活で吹いていた曲だった。ジャズアンサンブル部でサックスを吹いていたことをひさしぶりに思い出した。

 

12/23

仕事。先週からやっていたボリュームの重い仕事をまとめ上げる。

サンタさんになりたい、と思ったので、帰りにメッセージカードとプレゼントの本を買い、郵便局の本局の窓口営業時間に駆け込んで出した。スマートレターの差出人欄に名前を書き忘れたりしたけど(窓口の人が教えてくれた)。丸善のクリスマスラッピングペーパーはかわいい。クリスマス当日に届くといいな。

 

12/24

仕事。最近地下鉄の先発次発の標示がLEDから液晶に更新されたんだけど、そこにサンタさんが出てきてびっくりした。名古屋市交通局も粋なことをする。

帰ってチキンとピザというクリスマスっぽい夕ごはんを食べる。夜は昼間受けた知らせに混乱し、悲しい気持ちに襲われていた。

 

12/25

仕事。何も考えず緑のトップスに茶色のスカートで出社したら上司に「クリスマスツリーじゃん!」と言われお菓子をもらう。

サンタさんになりたいと送ったプレゼントはきっちりクリスマスの日に届いたらしく、感激してもらえてわたしもうれしい。サプライズは贈る側の気持ちの押し付けであることは承知の上で、でもサンタさんになりたいと思った。わたしの家はクリスマスプレゼントの習慣のない家だったけど、サンタさんになることはできたんだな。

この日の夜はクリスマスなので麻婆豆腐にした。

 

12/26

仕事。低気圧もあって身体が限界である。今週は土曜日まで稼働日なのでしんどさがすごい。首と肩と胸と背中と腰とおしりが特にきついので、思わずマッサージを予約してしまう。土曜日までがんばったらマッサージが待ってる、がんばれわたし。なんとなく悲しい気持ちが続いているんだけど、たぶん疲れなんだろうな、と思う。こういうときは人に触れてもらって自分の輪郭を確かめたくなる。

ネットで買ったコットン糸が届いたんだけど、実物はモニタよりうんときれいなグリーンだった。年末年始、これでポーチを編むんだ。

 

12/27

朝の地下鉄ががらがらなのに動揺しつつ仕事。この日で仕事納めの人に挨拶しつつ書類を大量に廃棄する。わたしが仮に保管していた書類の多さ、その数段ボール2箱分。でもおかげで机がすっきりしたのはよかった。

翌日も稼働日なので身体がしんどいしんどいと言いながら寝る。

 

12/28

仕事。土曜日だけど稼働日、しかも意外と細々とやることがあるので黙々と片付ける。土曜日だけど稼働日だから、と言い訳してコンビニスイーツをお昼にふたつも食べてしまう。半休や時間休でだんだん人が減る中、最後まで残りみかんを食べながらボスの愚痴を聞いたりする。

仕事のあと、ご褒美に予約していたタイ古式マッサージに行く。めちゃくちゃ気持ちよかった。痛いんだけど嫌な痛さじゃなくて、ストレッチの要素もあるので身体が伸びてよかった。終わったあと身体が地面から2cmくらい浮いている気がした。

 

12/29

だらだらしようと思ったけど翌日が最後のごみ収集なので押し入れの片づけをする。過去に涙目敗走した職場の残骸、つまり退職時に詰めて着払いで送ったまま開封していなかった段ボールをようやく開封して捨てる。押し入れの段ボール7箱が0.5箱になる。どれだけ不要品をため込んでいたんだわたしは。

午後は昼寝しようと思ったけど、掃除のために飲んだADHD治療薬コンサータがばっちり効いており頭が冴えて眠れない。それどころか顔だけぽっぽと火照るので落ち着かなくて散歩に出た。そしたら全身が火照った。これは恋か。

ようやく今年の自選五首をまとめる。


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12/30

翌年の手帳を買っていないので買いに行く。ハンズのアプリクーポンで10%オフがありがたく、ついいろいろ買ってしまう。それにしても名駅はすごい人で酔ってしまう。年末年始は人に酔う季節である。

腰がだるいな、と思ったのでお風呂にゆっくり浸かったところ痛みが出てきた。あっためちゃいけないタイプの腰痛だったか。

 

12/31

夜中、腰痛で目が覚める。朝うめきながら何とか起き、よろよろと過ごす。歩くこともおぼつかない有り様で、昨日から編み始めたポーチの続きも編めずだいたい寝て過ごす。なんという大晦日だ。

 

 

週報 12/15-12/21

12/15

寝込む。寝過ぎて記憶がないほど寝る。途中ものすごく目が冴える連絡を受けたのだけど、衝撃のあまり寝た。

 

12/16

仕事。月曜日のだるさを引きずる。わたしのことを嫌いな人がいて、その人の態度が業務に支障を及ぼし始めたので上司に相談する。別にわたしのことを嫌いなのは構わないけど、あからさまに態度に出されるとやっぱり消耗してしまう。きつい。

 

12/17

仕事。昼くらいから猛烈に落ち込みはじめ、メンタルが大荒れになる。低気圧もあったんだと思う。メンタルが猛烈な嵐となっても仕事はした。

帰ってから爪を塗った。ウィークリージェルでもニットネイルできるんだな。さらさらのジェルなのでニット模様を作るのに苦戦したけど。

 

12/18

朝、『スカーレット』のキス寸前シーンに悶絶する。二人芝居からのあの流れはやばい。八郎沼にまんまと沈んでしまった。

ちゃんと仕事は行った。

 

12/19

『スカーレット』の続きを見届けて仕事に行く。朝ドラなのになんというキスシーンだ。初めてのキスを目の前にしてカップの底に絵を描くことを思いつく喜美ちゃんと、喜美ちゃんの笑顔に引き出された八郎の器の色と、恋がふたりにどういう影響を及ぼしているのかにため息が出てしまう。

なんとなく不安感を覚えつつ仕事をする。他の拠点の人がわーっとわたしの部署を見にきて、あちらこちらでざわざわと雑談をするので軽くパニックを起こしてしまった。仕事中は許可を得てデジタル耳せんをしているんだけど、人の声は通すという利点が仇となってしまった。

 

12/20

仕事。ボリュームの重い仕事に取りかかる。

帰り道に少し散歩し、100円ショップでお弁当用のシリコンカップなどを買う。ゆるゆる金曜の夜を噛みしめていた。

 

12/21

『この世界のさらにいくつもの片隅に』を観に行く。前作とはまったく別物に仕上がっていて、前作以上にすずさんの、いくつもの片隅の内面に踏み込んでいて、その感情の動きに心をもっていかれた。ああ、いくつもの片隅で、確かにみんな生きていたんだ。涙が止まらなくなってしまったんだけど、会場のあちこちから洟をすする音が聞こえた。すごい映画だった。2時間40分の上映時間を感じさせないくらい。いや、膀胱は上映時間の長さを感じていたけど。お手洗いに途中退席する人が何人か出るほどではあったけど。冬休みの間にもう一度観に行けるといいなぁ。

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ずっと探していた公衆電話のガチャガチャを映画館で見つけて回す。かわいくてにまにましてしまう。

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