生きることは、痛みを抱えていくこと
前エントリが大きな反響を呼んでいるようで、痛みながら書いた甲斐はあったのかな、と思ってる。
人間誰だって、生きていく上で痛みを感じないことなんてない。
ただ、その感じる痛みの度合いや感受性は、人によって異なるだろう。
同じように親知らずを抜いても、そこまで痛まない人もいれば顔がパンパンに腫れ上がり何も食べられなくなる人がいるように。
誰もが痛みを抱えながら生きているということを、みんなが少しでも考えられる世界になったら、この世界はちょっとやさしくなれるのかもしれない。
痛みを知ってやさしくなる人もいれば、逆に痛みを許せなくなってしまう人もいるけど。
生きていく上で痛みを抱えることを避けられないのなら、それを認め許していけるようになりたい。
脳がお花畑かもしれないけど、ずっとそう思ってる。
本当はもっと書きたいことがあったんだけど、今のわたしは生理痛という物理的な痛みでいっぱいいっぱいなのである。
動けずに寝込んで日曜日を棒に振ってしまった…。
子宮内膜症も子宮筋腫も去年手術したときに認められたけど*1ごくごく小さいもので放置しても問題ないということだったし、血液検査も異常なくて、それでもどうしても痛いのである。
別のホルモン異常の治療をしているのでピルも飲めず、対症療法しかないのはつらい。
母も生理痛が重く、若いころ離職を余儀なくされるレベルだったので、遺伝なんだろうな。
ちなみに母は「産めば軽くなる」と言われたけど*2、産んでも軽くなるどころかむしろ重くなったそうだ。
ない人は全然痛まないというし、男性はもちろん痛まないし、なかなか伝わらないよね。
わからない、伝わらないかもしれないけど、ほんの少しの思いやりだとか想像力でそこの隙間が埋まったら。
痛みを抱えて生きることも、きっと怖くない。
生理痛は…あんまり抱えて生きていきたくないけどね…。
*1:去年卵巣嚢腫茎捻転の手術を受けた。内膜症に関しては、血液検査で異常がなくても開けてみるまでわからないとはたびたび聞く話
*2:ちなみにわたしも別の病院の男性医師で同じことを言われた。けどこれ、今の女性医師には「根拠のない話」と言われたし、冷静に考えたらドクターハラスメント案件なんじゃなかろうか