さらさら録

日々のさらさらの記録

帰省する家が欲しかった

子供の頃に欲しかったもの、さて何だろうと考えてみたけれど、問題の多い家で育ったわたしは「欲しがる」という気持ちを忘れていた。当時も欲しいものはあったはずだけど思い出せなくて、大人になってから軽い買い物依存になったり物欲の奴隷になったりしてるのはその反動なのではないかと密かに疑っている。

さて、思い出せた欲しいものは、帰省する家だった。
夏休みやら冬休みやらに、親の郷里に帰省してはお土産と思い出話を持ってくるクラスメイトが羨ましかった。わたしの両親はどちらも名古屋の人で転勤族でもなく、父方の祖父は同居だし母方の実家は家の前の道1本越えたら名古屋市という、ごくごく近距離に住んでいた。そのため、飛行機や新幹線に乗って帰省するという行為が羨ましくて仕方なかった。父の運転で30分足らずじゃ、帰省だなんてとても言えない。

たぶん、帰省した先で、子供たちは山のようにご馳走を食べさせてもらい、お菓子をたんと与えられて、服やおもちゃを買ってもらい、お小遣いを握り締めて帰ってくるのだろう。どれもこれも、わたしからは遠い話だった。わたしがお小遣いをもらうようになったのは義務教育を過ぎてからだし、服やおもちゃも自分の欲しがるものを買い与えられたことがなく、親が理想とするものだけが与えられ、洒落たお菓子なんて戴き物でしか食べることがなかった。

書いていて思ったのだけど、わたしは自分の欲しい服やおもちゃが欲しかったし、自由になるお金(つまりお小遣い)が欲しかったし、普通のクッキーやケーキが食べたかったし、旅行にだって行きたかったのだろう。
わたしが欲しがった『帰省する家』とは、そうした子供時代のないものねだりを詰め込んだアイコンなのかもしれない。

今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉

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