自動回転開脚式内診台に慣れないよという話
あの内診台が自動回転開脚式内診台という名前なのかは知らないけど、勝手にそう呼ぶことにする。とにかくあれが苦手なのです。婦人科通院歴約15年だけど、それでも苦手。というお話。
婦人科検診を受けるのをビビらせるつもりはないです、念のため。
婦人科歴について
プライベートなことなので、当たり障りない範囲で書きます。
初めて受診したのは中学のとき。なぜかというと、生理痛がとにかく重かった。いや、今も重いけど。痛さのあまり早退したり、帰宅途中に道端で卒倒したりするので母上様に連れて行かれたのが最初。そこで問診票を書いて、性交経験はありますか?の質問に対して「いいえ」に◯をした。本当に経験がなかったし、内診しないよう配慮して診てくれるとも聞いていたから信用したのである。
そしていざ診察になったとき、女性医師に「うーん、内診で見れたらいいんだけどねぇ」と言われ、同室していた母上様が「あ、この子水泳やっててタンポン使ってるので大丈夫です」と言ってしまった。わたしは心の中で「Oh......Nooooooooooooooo!!!!!!!!!!!!!!」と叫んだけど時既に遅し。「じゃ、やろうか」ということで中学生にして内診台に乗ったのです。その頃の内診は椅子に座ってフットレストのようなものに脚を置くと膝掛けをかけてカーテンを閉められ、医師や看護師から「ちょっと診させてくださいねー」と言われて初めて椅子が上がって傾き脚を開かれる、といった感じだった。確かにタンポンを使っていたので、中学生にしては膣内に異物が入ることに対して抵抗は薄かったかもしれない。けど、いくらタンポンを使っているとはいえ、ベリーベリープライベートゾーンを晒してそこに何かが入るという体験はなかなかに衝撃的で、「わたしはもう普通の中学生じゃないんだ…」なんてことを思ったりしていた。あ、さすがに内診中は母上様は同席していなかった。
そういうわけで、生理痛があまりに重く月経困難症と診断されたわたしは、定期的に婦人科に行って内診を受け鎮痛剤をもらうようになった。何で生理痛なのに内診をするのか説明してもらったんだけど、子宮内膜症や子宮筋腫の有無を見るために膣内エコーを行うということだった。実際にそのあたりのものがあるので、経過観察の意味でも必要だと理解して「あーはい内診ですね」といった感じで内診台に乗るようになった。この習慣があったおかげで膣内エコーから卵巣嚢腫が見つかり、卵巣を温存したまま手術することができたので、よかった点もあるにはある。
だけど、15年の間に医療が発達する傍らで内診台も発達していたのだ。そして、卵巣嚢腫の関係でいくつかの病院の内診台に乗ることになったけど、その新型のはずの内診台にわたしは慣れないのだ。
自動回転開脚式内診台というアトラクション
新型の内診台はこうなっているのだ。
産婦人科医としてというより、個人的に内診について思うこと - tabitoraのブログ最近の産婦人科の内診台は座って回転してる間に開脚するよう機械化されてるけど、あのタイプの内診台が苦手。たぶん配慮してるんだろうけど、個人的にはむしろ「えっ脚開きながら回らないで!」って思う
2015/01/21 17:27
これがどういうことなのか図解すると、ド下手くそな上万年筆が滲んじゃってる絵で申し訳ないのですが、

こういうことです。すべてが同時進行。
産婦人科医としてというより、個人的に内診について思うこと - tabitoraのブログ
- [医療]
お医者さんに話すのはまだしも受付の人にはあんまり説明したくないなぁって場合もあるなぁ/回る診察台初めてのときは「ターイムショック……」って思った
2015/01/21 18:16
こちらのブコメの「ターイムショック……」に笑っちゃいながらも赤ベコのごとく頷いた。もう本当に、何かの絶叫系アトラクションにしか思えない。病院だから叫べないけど。しかも、このタイプの内診台だと回転している間にカーテンを越えるので、医師の前にはベリーベリープライベートゾーンと脚しか見えない状態になるのです。ベリーベリープライベートゾーンだけがぱかっと診られていてカーテンで隔てられてしまうのは恥ずかしいし不安。
設計思想は理解できるんですよ。「内診が恥ずかしくないようにしよう!どうしよっかなー、カーテンの向こうに最低限のベリーベリープライベートゾーンだけ見えてればいいよね!そうだ、回転しながら脚が開いたら恥ずかしさもきっと薄れるよね☆」といった感じで。だけど回ってる間に背中は傾いてお尻丸出しになるし、脚が勝手に開いてくっいうのはとっても心もとないし、「ちょ、ちょっと待って!まだ心の準備ができてない!」と思ってる間に容赦なくベリーベリープライベートゾーンが白日の下に晒される…ような気がしてしまう。わたしにとっては。そこで呑気に謎のBGMなんか流れてきたらもう、逆に「静かにしてくんないかなぁ!?」と言いたくもなるのである。
内診、そして婦人科について望むこと
自動回転開脚式内診台がこれだけ普及しているということは、それなりに医療従事者や患者から需要があるんだと思う。だけど、わたしは機械化されていない頃の内診台のほうが安心できた。自分と医師のタイミングで進めることができるから。
正直なところ、看護師さんに「下着取って座ってくださいね」って言われて膝掛け代わりのバスタオルをかけられて(病院によっては自分でかけることになるけど)、「じゃ回りますねー」の言葉だけでアトラクションがスタートするのってちょっと不親切な気がする。婦人科にずっと通っていて何度内診を受けていたって、「お、おう」と動揺してしまう。それに、なんだかベルトコンベアに乗せられているような居心地の悪さもある。まるで、ベリーベリープライベートゾーンだけのモノになったかのような気持ち。
婦人科検診の必要性はわかるんだ。わかるからこそ、もっと安心感を持てるように、患者が自由に思ったことを言えて医療者がそれを聞くという体制が広がっていけばいいのに、と思う。だから、医師には内診の必要性をきちんと説明してもらいたいし、問診票で内診の進め方の希望を聞いてくれたらいいのになぁ、とも思う。カーテンを閉めるかどうか、どのタイミングで脚を開くか、といったことを。言いにくいことも、問診票になら書きやすいと思うのです。
一方的に医療従事者が検診を勧めるんじゃなくて、患者と医療従事者の双方が対話や提案をしていけるような流れになっていったら少しずつハードルを下げていけるんじゃないかな。
人生楽しんでるでぶ女子(notぽっちゃり)はかわいいよ
ぽっちゃり・デブ論争は溝と闇が深いので、ひらがなで「でぶ」って書くことにする。カタカナだと悪口みたいだけど、ひらがなだと文字のニュアンス的にもかわいいでしょ。
これが本当の“大型”新人!平均体重76kgの女性アイドルグループ誕生 - 音楽ナタリーぽちゃを超えてデブだとデブスのわたしでも思うけど、ポジティブに生きてるデブな女の子は「デブwwwぶっさwww」って笑ってる人たちの何万倍も輝いててかわいいよ
2015/01/16 07:52
わたし自身、でぶで器量も良くないと自覚しているしそれは体重計にも現れている。病気の関係もあって太ってしまい、医師の指導を受けながら少しずつ体重を落としてはいるけど、そんな自分の外見がコンプレックスだった。「だったら痩せればいいじゃん」というのはその通りなんだけど、「痩せるにしても急激に痩せられるもんじゃないし」という思いもあって、元々卑屈だったのが更に卑屈になっていた。
そんなわたしの前に現れた「La Farfa」という雑誌は革命的だった。
【ラ・ファーファ】花咲け!ぽちゃカワ女子
ラ・ファーファというと、少し前に話題になった「マシュマロ女子」という言葉を産んだ雑誌である。少しバックナンバーの表紙を載せてみるけど、「ボンレスハム」や「ダルマ」や「力士」なんかの自虐も使いつつも、「おしゃれするって楽しい!」って気持ちに満ち溢れてる。
こうして並べてみると、カバーガールの渡辺直美が毎回全然違うテイストの服で表紙を飾っているのも見てて楽しいし、「これだけおしゃれの幅があるんだ!」って思わせてくれる。
この雑誌に出てくる読者モデルは全員身長・体重・スリーサイズを公開しているんだけど、数字と見た目って全然違うんだなぁと知った。そして、それだけの情報を公開しても、彼女たちは卑屈になるどころか満面の笑みで紙面に登場しているのだ。世間一般では好ましくないとされるどころか誹謗中傷の対象にもなるでぶをコンプレックスにして俯くのではなく、それを過剰に開き直って正当化するのでもなく、コンプレックスを受け入れ併せ呑んだ上で前を向いて楽しんでいる様子は本当にかわいい。わたしもたまにこの雑誌を買うけど、見ていて参考になるしとっても楽しい。コーデや掲載アイテムのショップだけじゃなくて、ダイエット特集がない代わりにでぶ特有の悩み解決コーナーがあったりして、一般的な女性ファッション誌と一線を画した実用的な内容の記事もあって面白い。ぱらぱらとめくっていると、何だか楽しくて癒やされる。
ラ・ファーファは、「でぶだって、ポジティブにおしゃれを楽しんでもいいんだよ!」と背中を押してくれた素敵な雑誌だ。
わたしはマシュマロ女子というより、重量感やもっちり感から大福系だけど*1、おしゃれをすることが怖くなくなった。ゆっくり体重を落としていくまで、今の自分を楽しもうって思えるようになった。「その服かわいい!似合ってる!」って言われることが増えて、とってもうれしくなった。
そんな独自路線を行くラ・ファーファなんだけど、以前ひどい扱いをされているのを見た。
ラ・ファーファを晒し目的で買い、2chのVIPにスレを立ててアップロードし、それをアフィリエイト転載ブログがまとめてブログ読者が叩く、という嫌なものだった*2。「豚」だの「肉屋のカタログ」だの読んでて気分が悪くなるような言葉が並んでいて、男だけでなく女もデブだの引くだのと叩いていた。
確かに、ラ・ファーファのスタンスは賛否両論を巻き起こすものだろう。「ぽちゃカワ」の定義がちょっと緩すぎるかもなー、と思うこともあるし。
それでも、ラ・ファーファを買ってまで晒したり、ネット上で悪口誹謗中傷を並べて叩いている人たちより、でぶだろうと心からおしゃれや人生を楽しんでいる人のほうがうんと輝いてて魅力的だと思うんだ。
今回のぽっちゃりアイドル「Pottya」にしても、笑顔で生き生きと歌い踊る彼女たちはかわいい。ナタリーの反応を見るとやっぱり賛否両論だけど、思ってたより「かわいい!」って声があって安心した。誹謗中傷も覚悟の上で、それでもぽちゃドルの道を選んだ彼女たちは輝いている。どうか、ひどい罵詈雑言に心を折られないといいな。
健康面を考えたら彼女たちも少し体重を落としたほうがいいかな、と思うこともある。
だけど、体重や体型にとらわれるあまり何も楽しくなくなって余裕もなくなって人を叩いてばかりになるより、太っていても卑屈にならずに自分を楽しんで生きているほうが、精神衛生上よっぽどいいよ。
でぶ女子ライフを心から楽しんでいる女の子の存在は、「痩せこそ正義」という価値観から女性を自由にする価値観を生み出していけるんじゃないかな。願わくば、ラ・ファーファやPottyaが一過性のもので終わらずに、その価値観を定着させていけたらいいな、と思わずにはいられないのです。
ヴィレッジヴァンガードとサブカルクソ女/野郎
これはわたしの思う「サブカルクソ女/野郎」の悲哀について、もしくはヴィレッジヴァンガードへの歪んだ愛情のお話。
サブカルクソ女のTwitterアイコンにおける自分の爪先率なんなの? なんでみん..一眼レフじゃなくてミラーレス、しかもだいたいオリンパスのPENだな。/サブカルクソ女・サブカルクソ男ってのはヴィレヴァン的テンプレにはまった量産化された人間だと思ってる
2015/01/14 22:06
サブカルクソ女/野郎を考えるとき、わたしはヴィレッジヴァンガード(以下ヴィレヴァン)をどうしても思い出す。
サブカルクソ女/野郎が量産化され始めた時期と、ヴィレヴァンの出店がイオンを中心にテナントという形で拡大された時期がわたしの肌感覚で重なるのだ。ヴィレヴァンをキーワードにしたサブカルクソ女/野郎の量産化についてぼんやりと考えていたことを形にしてみようと思う。
それにしても、サブカルクソ女・サブカルクソ野郎ってとても語感が良い。
ヴィレヴァンがその辺のイオンに出店し始めたのは、2000年代半ば頃だと記憶している。その結果起こったのは、サブカルチャーと言われるもののパッケージングとメジャー化だと思っている。
それまでもヴィレヴァンはサブカル愛好家に好まれていたけど、まだどことなくアングラ感が漂っていた。そのヴィレヴァンがイオンに出店することで、サブカルはヴィレヴァンというひとつの様式にパッケージングされ、あらゆる地方でイオンのテナントのひとつとして消費されることになったのだ。
以前、チンポムの誰かががDOMMUNEで「地方の若者はヴィレヴァンでサブカルを知る」というようなことを言っていたけど、その発言を聞いて、わたしは全国のあらゆるイオンにテナントとして入ったヴィレヴァンを思い出した。そうか、そこでヴィレヴァンを知りサブカルを知るのか、と。
ヴィレヴァン発祥の地名古屋で生まれ育ち、遊べる本屋として存在を当たり前に思っていたわたしにはわからない感覚だっただけに、「ああそうなのか…」と目からコンタクト…ではなく鱗が落ちた。
「ヴィレヴァンはイオンに出店することでサブカルをパッケージングした」と言う根拠は、いくつものイオン内のヴィレヴァンに行った結果だ。だって、イオン(だけでなく他のショッピングモールや駅ビルに出店したヴィレヴァンも含んでいるけど)の中のヴィレヴァンって、「ヴィレヴァンらしい」を詰め込んで並べただけで、どこも代わり映えしないんだもん。
わたしがよく通ったのは、今はなき生活創庫*1の中にあった名古屋中央店と、四日市のスターアイランドといういい感じにひなびたファッションビルの中にあったお店と、名古屋港のオートバックスの中にあるお店だった。名古屋中央店は今は矢場町の独立店舗に移転しているので、今ビックカメラ6FLにあるヴィレヴァンは同じフロアだけど別物なんだよね。四日市のお店は今はもうないけど、15号店だった記憶がある。昔はPAPA店もあったなぁ。どのお店に行っても違うCDが流れていて、プッシュされているものも違っていて、ごっちゃごちゃで通るのにも店内を回り切るのにも苦労させられて、その分掘り出し物を見つけられたし、お店の個性も感じられたしお店にストーリーがあった。だからこそわたしはヴィレヴァンに魅了されたし、そこを足がかりに今まで知らなかったたくさんのカルチャーに触れていくことができた。
それがだ、イオンの中のヴィレヴァンと来たらどうだ。あれだけたくさんあるのに、判で捺したようにJ-POPのボサノヴァカバーやジャズカバーが流れ、同じようなオサレ本がプッシュされ、大型書店と変わらないようなラインナップの漫画が平積みになってて、そのへんの雑貨屋さんと変わらないようなキャラ物やオサレ雑貨やオサレ食器が並んでいて、挙句の果てに美容グッズコーナーまであって、ジンギスカンキャラメルなんて置いてませんよといった出で立ちである。そして、いつ行っても似たような恰好をした中高大学生で溢れている。
もちろん、ヴィレヴァンだって商売だから、テナント料をペイしそれ以上の利益を上げなければいけないことはわかっている。その結果、売れ筋商品ばかりが並んで、お店が画一化してしまっている。その画一化されたイオンの中のヴィレヴァンで初めてサブカルに触れるのなら、その印象がカルガモの刷り込みのように残ってしまい、その結果サブカルクソ女/野郎が量産化されるのもある意味仕方のないことなのかもしれない。
わたしが、冒頭のブコメで「サブカルクソ女・サブカルクソ男ってのはヴィレヴァン的テンプレにはまった量産化された人間だと思ってる」と書いたのはこういうことなのだ。パッケージングされメジャー化されていることに気づかずに“ヴィレヴァン的なもの”をサブカルだ個性的だと思い、そのテンプレートのような姿恰好をした結果没個性的になっているような人たちが、わたしの中でのサブカルクソ女/野郎になっている。*2
画一化されたヴィレヴァン的サブカルが「個性的でありたい」というこじれた厨二病とも言える思いの行き先となり、もはやメインカルチャーとなってしまっているものをサブカルだと思ってしまう。そしてそこから同じような自己表現手段を学び、同じようなポエムを書き綴り、カフェや空の写真や爪先写真をInstagramにアップすることになるのだ。結局、何者にもなれないままに。
それは、ある種の悲哀だ。
はてなキーワードの「サブカル女」には、このように説明がある。
自分の世界やこだわりを持ち、サブカルチャー(主流の文化に対する、少数派に支持されている娯楽・趣味文化)に興味を持つ女子のこと。
対義語にスイーツ(笑)がある。
サブカル女とは - はてなキーワード *3
「サブカル女/野郎」がひとつのジャンルとして成立してしまうくらいに少数派ではなくなっているのに、自分をサブカル人間だと思っているところが「サブカルクソ女/野郎」である所以なのだろう。そしてわたしは、そんなサブカルクソ女/野郎たちに対し、同属嫌悪と悲哀とおかしさとちょっぴりの愛しさを持っている。
何しろわたしは、こういう人間なのだ。
わたしは言うならば多店舗展開し始めたヴィレッジヴァンガードに通う量産型サブカルクソ野郎ではなく生活倉庫にあったヴィレッジヴァンガードに通ってたようなサブカルクソ野郎である
— ねぎ*なぎさらさ (@ccmnt_) 2014, 9月 14
生活創庫を誤字してるけど。