あぁ そっか
ひさしぶりにブログを書いている。書きたいことはたくさんあったのに、なんとなく書けずにいた。
わたしの思考は不安でぐるぐると回りやすい。そして、回りながら下向きに渦を巻いていきやすい。するともう、悪いことしか考えられなくなる。ひとりで散々悪いことばかり考えて、ひとりで身勝手なまでに悪い結論を出してしまう。人に話すのが怖いのだ。迷惑をかけたくない、ドン引きされたくない、といった気持ちがわたしの口をつぐませ、ひとりのぐるぐるを強固にさせてきた。そうしてここまで生きてきた。
だけど、ここ半年くらい、不安のぐるぐるを人に話すようにしている。聞いてくれるひとがいること、そのひとがわたしを受け止めてくれたこと、わたしに向き合ってくれること。それは、わたしに口を開く勇気をくれた。そして、話してみると、わたしのぐるぐるはなんてことない思い過ごしだったりするのだ。本当に、馬鹿げているかもしれないけど、わたしが勇気を振り絞って話したことが、思わず笑っちゃうくらいしょうもなかったりするのだ。
あぁ そっか
そうやってやればいいんだ
あぁ 何だ
考えたこともなかった
(Syrup16g - Murder You Know)
新しいやり方を覚えたわたしは、まだまだ生き延びられそうだ。だって、今、たまにぐるぐるしてしまうけど、毎日が楽しいのだから。それは、基本的につらいと思いながら生きてきたわたしにとっては新しい感情で、「楽しいところだけ見てるから、毎日楽しいのかな」と思わず不安になってぐるぐるしてしまったほどだ。「それで何か問題あるの、楽しいところだけ見てていいんだよ」って笑いながら言われて、また「あぁ、そっか」となったのだけど。
生きて、生きて、詠んでやる
彼の人生とわたしの人生は重なるところが多い。生年、いじめ、その後遺症による精神的な病、非正規労働者、そして短歌を詠むこと。だからこそ、萩原さんの歌集には未だに手を伸ばす勇気が出ないでいる。
そんな中でこの記事を読んで、いろいろと感化されてしまい苦しくなった。そのことを打ち明けた大切なひとから、「なぎさらさんはなぎさらさんだから、なぎさらさんの道を歩いているのだから、なぎさらさんはもっとなぎさらさんを大切にして」と言われて苦しさが少し軽くなった。
かつて死に損ねたわたしは今、生きていたいと望んでいる。そして、今は、人生で一番穏やかで満たされた日々を過ごしていて、その代わりあまり短歌が詠めなくなってしまっている。それでも、ようやく手に入れた今の愛おしい日々も、短歌も、手放したくないからもがいてやる。
もがいて、あがいて、生きて生きて詠んでやる。