Android.process.acoreエラーが止まらなくなった
タイトルのエラーが頻発し、電話が強制終了してしまうので(スマート“フォン”なのに!)リカバリを試した。
セーフモードで起動→エラー出ず。つまりインストールしたアプリに問題がある。そういえば昨日ツイッターアプリにアカウントを追加した。
ツイッター公式アプリを削除→エラー出ず。しかしないと不便なので再インストールすると再発。
メディアストレージの無効化→エラー消えず。
連絡先のデータ消去→エラー消えず。
端末を初期化しツイッター公式アプリをインストール→エラー出ず。
ということで、端末を初期化したらやっと止まった次第。昔は初期化すると復元がめんどくさかったけど、今のAndroidは勝手にGoogle Playからアプリをインストールして復元してくれるのが楽ちんだね。
以上、備忘録。
短歌の目 第13回・11月 キットカットの箱の裏側
題詠5首
1. 本
頬杖をついて本を読む君の視線に僕はなかった秋
2. 手袋
道端に片方落ちてる手袋はさぞ寒かろう手をなくして
3. みぞれ
みぞれ降る街で別れたあの人も同じようにグレーに溶ける
4. 狐(きつね、キツネも可)
あたたかな部屋で啜るきつねうどん曇った眼鏡でお揚げが見えない
5. メリークリスマス
君だけに伝えたメリークリスマス キットカットの箱の裏側
テーマ詠「酒」
ほろ苦く甘く広がるスプモーニそれはまるで恋にも似ている
酔ったふりなんてできるはずもなく可愛くなれない焼酎ロック
たっぷりと生姜を入れた甘酒を飲ませてくれた祖母と縁側
はぜていくカシスソーダを見てた夜 退屈なんかしていなかった
中ジョッキビールを飲み干す勢いで世界の涙も飲み干したいのに
バスを乗り間違える
わたしは比喩ではなく本当に脳みそのバランスがおかしいので、注意不足というか注意欠陥がある。そしてこれが遺憾なく発揮されたのが最近立て続けに発生したバスの乗り間違いである。
1回目は乗ったバスが想定外の道路へと進んだ。名古屋市バスは乗車ドアが開いたときしか行先表示が出ず、降りる人ばかりのそのバスでは行き先を確かめられなかった。乗り間違えた……うわ乗り間違えた……とすっかり混乱に陥り冷や汗をかきながら、なるべく家の近くの停留所で降りて歩こうと準備をしていた。とそのとき、アナウンスは家の手前のバス停の名前を告げた。よかった、ちゃんと帰れる。安心して家の近くのバス停のアナウンスで停車ボタンを押した。そしてドアが開いたのは1つ手前のバス停だった。1つ手前のバス停は複数箇所にあるので運転手さんが間違えたらしい。もう一度同じアナウンスを聞き降車ボタンを押して無事帰った。
2回目はシンプルに行先表示を見て間違いに気がついた。何事もなかった振りして1区間で颯爽と降り、今度は乗る前に行き先を確認してから正しいバスに乗った。
なぜこんな間違いをするのか。複数の行き先があることを失念して、乗りたいバスの時刻表に一番近いものに乗ってしまうからだと思われる。ちなみに電車では間違えない。接近表示を見ているからである。接近表示や電光掲示板のおかげで、よく無理ゲーと言われる新名古屋……もとい名鉄名古屋でも間違えず乗ることができる。名古屋市バスには基幹バス以外接近表示がないのだ。正確には昔アナログなものがあったが廃止された。接近表示や電光掲示板がない以上、ちゃんと行き先を確認してから乗らなければならないのに、そこへの注意が向かないのだ。時刻とバス停だけでぽろっと注意が欠けてしまうのである。
しかし向かないからといってバスを乗り間違えて冷や汗をかくのも精神的によくないので、バスに乗るときは行き先を確認するように癖づける必要がありそうだ。