さらさら録

日々のさらさらの記録

最近少し歩いている

散歩というよりはウォーキングだ。仕事が始まるまでに、無職期間に落ちた体力を取り戻しておこうという目論見である。最初はRuntasticでウォーキングの記録を取っていた。これは何年も前にダウンロードして使っていて、信号待ちで一時停止した際のオートストップを使えるようにするためにアンロックまでしたものだ。しかし残念ながらウォーキングではオートストップが作動しないことが判明した。それも随分と使ってから。じゃあ走れよと言われそうだけど、関節の作りがゆるいため歩くのは大丈夫だけど走ることに向かない。ということで、Runkeeperに乗り換えた。これは無料でオートストップが使える上、ウォーキングでもちゃんと作動する。おかげで記録が取れるようになった。自己満なんだけどね。
Runtastic - ランニング&ウォーキング
ASICS Runkeeper™ Running App | Track your Run on iPhone and Android
歩きながらボリュームを絞った音楽を聞き流していろいろなことを考えている。今日はそうして歩きながら考えたことを書こうと思う。

失職してから職を見つけるまで、精神的にしんどいところをさまよっていた。一部はこのブログにも吐露していたしツイッターにも書き殴っていた。友人知人は誰ひとりとして、それを引き受けようとしなかった。ただ、見守り寄り添ってくれていた。当たり前の話だ。わたしの苦しみや痛みや悲しみや怒りや寂しさはわたしひとりのもので、誰かに分けられるようなものじゃないからだ。見守り寄り添ってくれたひとたちがいたから、わたしはきちんと苦しみを抱えることができた。友人知人は引き受けようとしなかったけど、もっともらしい説教をするということもなかった。ただただ、見守り話を聞きそばにいてくれた。それだけで、どれだけ力強く立ち向かえただろう。友人知人の取ってくれた対応は、これ以上ないほどベストだった。
わたしは、手が届く範囲で苦しみや悲しみに寄り添いたいと思っている。善く思われたいなんて意味でもなく、もっと素朴なところで。目の前に転んだ人がいるなら手を差し出すような感覚で。だけど、わたしは苦しみや悲しみや怒りを引き受けることはできない。それは個人の中に宿るもので、分かち合う類のものではないからだ。わたしはあなたじゃないし、あなたはわたしじゃない。だから、引き受けることはできないし背負うこともできない。寄り添うことしかできないし、それがきっとベストなんだとも考えている。わたしの境界の中でわたしはわたしの感情を引き受けるけど、わたしの境界にわたし以外の感情を引きこむことはできない。同じように、誰かの境界にわたしの感情を引き込まれることも望まない。ただ、そこにわたしがある、わたしの感情があると認めてくれたら、それでいい。このブログだって、誰かの代弁として書いてるわけじゃないし誰かの感情を引き受けるために書いているわけでもない。ただ、わたしという人間がいて、こういう生き方があると書き残しているし、誰かに寄り添えたらいいと思っている。それ以上はないのだ。
このことがわからなかった頃は随分と苦しい思いをしたし、今でも完全にわかっているとは言えない。相変わらず暗いニュースに感化されてしまうし。だけど、引き受けることはできないときっぱり思うことで、いくらか楽になった気がする。その分冷たい人間だと罵られても構わない。まずは自分の境界を守ることからすべてが始まるのだから。

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