さらさら録

日々のさらさらの記録

syrup16g『Kranke』初日 青春と患者

syrup16gのツアー『Kranke』初日の名古屋市公会堂に行ってきました。
公会堂というと名古屋市民なら何かしらの行事で行く場所という印象が強いと思う、現にわたしも何回か保育園や学校行事で行った記憶が。昭和5年に建てられた趣のある建物で、冬に鶴舞公園を散歩しながら「syrupあたり公会堂でやらないかなー」と思ってたら本当にやってくれたので楽しみに向かったのだ。
去年の再発ツアー初日以来のsyrup、しかも前回と違って全席指定のホール公演ということもあってじっくり楽しむことができた。

Kranke

Kranke

実は、先行して発売されていたe.p.『Kranke』がサウンド的にしっくりきてなかったんだけど、このe.p.は同名のライブに行って初めて完成するのだ。CDではしっくり来てなかった部分は物足りなさと言い換えることもできるんだけど、ライブではそんなことまったくなく、抑えることもせずすべてを解放して魂を叩きつける3人の姿があった。

そして、なんとなく、五十嵐隆が表舞台に戻ってきた理由を理解できた気がした。

かつて、解散前のアルバムに収録された『さくら』で、「これはこれで青春映画だったよ 俺達の」と歌い、前回の再発ツアーで演奏した『ハピネス』では「青春は先週で終わった」と歌った五十嵐。
しかし、今回のe.p.に収録された、あまりに素直なタイトルの『Thank you』ではこう歌った。

諦めの悪い僕にThank youを
諦めの悪い青春を

わたしの勝手な憶測だけど、五十嵐は再発ツアーを経て、青春であるsyrup16gに向かう決意をしたのではないだろうか。そして、その青春を諦めないーーsyrup16g中毒とも言える自分を「患者=Kranke」と称したのではないか、と。

今日、五十嵐は「元気ですか?…まだ生きてますよ」と言った。たぶん、シールドが抜けるハプニングがなければ言わなかった言葉だろうけど、そこに彼のユーモアと真意の断片を見た、気がした。
syrup16g解散から犬が吠えるの解散を経て消息を絶った間も、syrup16gのファンは増え続け、いつしか神格化される向きすらあった。
そんな状況に対し、今の五十嵐をsyrup16gを見せることで、彼は彼なりに患者であるファンたちに向き合っているのかもしれない。

syrup16gは青春であり、中毒患者を生むものであり、彼ら自身もまた患者であるのだ。
これについて詳しく言及するとネタバレになるので、今日はここまでに留める。


と書いたけど、ここからは純粋にネタバレなしの今日の出来事。
五十嵐が煽ってさあ弾こうとしたらシールド抜けて音鳴らなくて「あ」と素に戻ったあとに謎の⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーンと旋回したり、チューニングが合わなくて「しょうがない!今日は初日ということもあって思うようにならないこともいっぱいあって、楽屋でもずっとしょうがないって言ってるもん」発言が出たり、そしてチューニングし直す間に「しーっ」とたいこがやってたり、「名古屋は大好きな街なので…また来たいと思います」発言があったり、イガラスもたいこも吠えるしマキリンも感情むき出しにするし、そうしたステージに向かってわたしも感情を露わにしてぼろぼろ泣いて跳んでいたので、これを書いている帰り道の今、多幸感と心地よい疲労感でいっぱい。
最高にロックでエモくてただただ力強くかっこいいサウンドを全身で浴びる気持ちよさ。アンコール拍手の揃いっぷりからも、ホール公演だということを忘れるくらいに近いライブだった。今のつらいことばかりでいろんなことが枯れていくような日々も忘れて、終わったときは思わず「まだ足りない!」って叫びそうになるくらい、あっという間だった。
今日「しょうがない」って言ってた部分が、最終日にはどうなってるのか。見届けるのが楽しみ。

泣かせてからその涙を回収し、どん底に叩き落としてから希望を差し出す劇薬としか言いようのないセットリストに心を気持ちよく抉られて、立派に手遅れの重症syrup16g中毒患者となりました。もう手遅れ?うん、わかってる。

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わたしもまだ、生きてますよ。そしてまた、生きてきますよ。


以上、帰り道の感想メモからネタバレを抜いてそのまま感情の赴くままお送りいたしました。

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