さらさら録

日々のさらさらの記録

感性は距離に比例する、部分もある

昨日、高須光聖さんが出ていたDOMMUNEを実況しながら見ていた。
そこで、高須さんが言っていた「企画は、距離に比例する」という言葉が印象的だった。
高須さんの企画は自分の原体験が元になっていて、その原体験は家の周りから始まって、行動範囲…というか距離が広がるにつれて企画も大きくなっていくという話。


そこでわたしは、こんなツイートをした。

失職した頃はうつで休職してそのまま期限までに戻れなかったということもあって、ほとんど引きこもって過ごしていた。
たまにハローワークや通院で出かけるけど、用事を済ませたらそのまま帰ることがほとんど。
抑うつで感性を失ったところに、引きこもり生活を送ったことで失ったまま硬直させてしまった感じだった。
それは感性で生きているわたしにとってはとてもつらく、かといって好きだったものに触れてもなかなか心が動かなかった。もどかしかった。


その状態で今の会社に入社して勤め始めた。
バス停まで歩いてバスに乗って、さらにバスを乗り継いで歩いて通勤する日々。
人数も来客も多い部署で、必然的に多くの人と話す日々。
依頼された仕事をこなし、提出しては「早い」「出来がいい」と褒められる日々。
同じフロアの女性たちと一緒にお昼を食べて笑い合う日々。
そんな毎日の中に身を投じて10日間ほど経った日の帰り道に、突然涙がこぼれてきた。
風が冷たくなっていたこと、陽が落ちるのが早くなっていたこと、息が白くなっていたこと、そんな当たり前のようなことを今更思い出したように気がついて、胸が締め付けられて泣いた。
感性が戻ってきた、と気づいた。
それと同時に、この世界を、自分の感性を愛おしいと心から思った。


たぶん、引きこもったままだったら、感性を取り戻せなかった。
外に出て行動範囲を広げたことと、人と触れたことが大きかった。
行動する距離を広げたら、必然的に出会う物事は増える。
その物事は、少しずつ少しずつ感性を揺さぶっていく。


引きこもることが必要なことだってある。
だけど、もしも自分の感性がちょっと鈍ってきたな、と思ったら、いつも行かないような場所に行ってみるのもいいんじゃないかな。
同じ市内でだって、プチ遠出はできる。
自分の体調や体力と相談しながら、のんびりと歩く。
距離を伸ばしたところへ出かけることで感性は少しやわらかくなって、気づかず見過ごしてしまっていたことに気づけるかもしれない。
そして、自分の感性を保つためのひとつのメソッドになり得るかもしれない。


http://instagram.com/p/ukXBUBGDsS/
今日の午後は出かけていた。
下から朱に照らされる雲がきれいで、思わず足を止めて信号を1つ見送って写真を撮った。
夕陽の表情が毎日違うことにちゃんと気がつける今の自分の感性が好きだ。

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