憎しみに憎しみで返しても、何も変わらないんじゃないかな
昔からぼんやりと考えていたこと。
まとまっていないし、結論も出ていないけど、わたしの中に芯のようにあるもの。
なんだか、ここ数年、ギスギスした空気を世の中全体に感じている。
叩かれたら、叩き返していい。
少しでも気に食わないことがあったら、憂さ晴らしにサンドバッグにしてこてんぱんに殴って叩きのめしていい。
人を人と思うこともないままに。
そんな世界を、わたしは望まない。
何かをされたから、何かをやり返す。
憎まれたから、憎み返す。
その先にあるのは、際限なくエスカレートした憎しみ合いの果てに残るおびただしい傷跡と深く暗い溝ばかりなんじゃないかな。
憎しみに対して憎しみで返す言動を、わたしは肯定することができない。
憎しみで返していいのは、それ以上に憎まれる覚悟があるときだけ。
だって、相手をただ闇雲に憎んで叩いたって、それで何が変わるんだろう。
そんなことで事態が好転するとはとても思えない。ただ同じ穴の狢になるだけ。
わたしは、憎まれ罵られたからという理由で、憎み返したり罵り返すことに反対だ。
じゃ、憎まれたら罵られたらどうすればいい?というところで、明確な答えが出ていないところが片手落ちなんだけど。
北風と太陽のお話だったり、対話を諦めない姿勢だったり、そういった理想論ばかりになってしまうのが考えの足りてないところなんだけど。
ただ、考えがまとまらないながらも、ヘイトスピーチに反対だという立場を明確にすることは無駄ではないはず、と信じてこのエントリを書いている。
我ながらひっどいエントリだと思うけど。
憎しみという感情それ自体を否定しているわけではないのだ。
憎しみをバネにして自身を成長させることもあるから。
だけど、どんなときだって、相手も人だってことは忘れちゃいけないよね。