さらさら録

日々のさらさらの記録

週報 21.09.12-09.18 復活、激痛、カムイ

突然、週報を復活させた。このままでは毎日がただ流れていき、そしてわたしも文章が書けなくなるような気がしたのだ。わざわざ夫のノートパソコンを広げて構えて書こうとしなくても、もっと気軽に書いたっていい。そんな風に思い、スマホで文章を書けるようBluetoothキーボードを買った。携帯ショップで1円だったスマホをディスプレイにして、ポメラのようにして書こう。この週報はそうして書かれている。


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09.12

前日夜の大谷使用詠歌会のあとでお風呂も入らず寝てしまったこともあり、目玉焼きトーストを食べてシャワーを浴びる。大谷使用詠歌会とはその名の通り(?)大谷翔平を詠み込んだ歌会である。キクハラシヨウゴさん主催の野球歌会には夫婦で欠かさず参加しており、この大谷使用詠歌会も楽しみに参加した。迷いがあるままの歌を歌会に出すと、だいたいちゃんとその箇所を指摘されるのでおもしろい。

シャワーのあと少し眠り、起きたら昼だった。ナポリタンを作って食べ、サンドラ(サンデードラゴンズ。名古屋のドラゴンズ応援番組)からのアタック25という黄金リレーを決める。アタック25は大学時代にクイズ研究会だったという夫と同居しはじめてから観る習慣がついたのだけど、この秋で終了との報道があったこともあり、残り何回観られるだろうかと考えながらクイズに答えている。夫婦大会に出られたらよかったな。

夫がZOOMをしている間、隣の部屋で友人にメールを書いたりうたた寝をして過ごす。今夜はお好み焼きにするべしとの天啓を得る。ZOOM終了後、二人ともおなかがすいたのでコンビニでおやつを買う。

ラブライブ!スーパースター!を観てからお好み焼きを焼き、野球を観る。まさかまさかの4点差を逆転しての勝利であった。

 

09.13

夜中、右の肋骨あたりの激痛で目覚める。最初は胃かと思い胃腸薬を飲むも収まらない。あまりに痛くて寝れないまま時間が経ち、たまらず夫を起こす。実は去年にも似たようなことがあり、そのときは夜中に病院を受診するも肋間神経痛とのことだった。しかし今回は差し込むようにギリギリと痛い。これはもしかしてやばいかもしれない、そういえば昔胆石があるって言われたことがある、それかもしれない。夫に調べてもらったところ、徒歩圏内に夜間救急を受け入れている病院があることがわかり、連絡の上行くことにした。

病院に行ってCTを撮り、おそらく緊急性はないので午前中もう一度診察を受けてくださいとのことだった。外に夫を待たせて診察室に入ると、医師が「ご家族の方も一緒に入ってください」と言ったんだけど、看護師がなぜか「あれご家族じゃないですよね」と言うので食い気味に「夫です!」と言ってしまった。もらった痛み止めを飲み、なんとか寝る。

午前中もう一度診察に行く。血液検査の結果待ちでずいぶん時間がかかってしまった。医師はとても丁寧に説明してくれる人で、触診の結果および血液検査の結果とCTを照合したところ、胆嚢炎の可能性は考えられないこと、あり得るとしたら帯状疱疹もしくは肋間神経痛とのことだった。また肋間神経痛なのか。夜中起きるほどの激痛を引き起こす肋間神経痛とは。

この日はたまたま休みだったので、お昼を食べてドラッグストアで買い物をして、帰って昼寝をした。起きてから夕食を作る。おいしくて満足。BS1で野球中継がある日はいい日。

 

09.14

仕事。オーーーーーーーンとなるようなことが発生し、メンタルがぷるぷるの状態で仕事をする。そこへさらにオーーーーーーーーーーーンとなるようなことが発生し、ぷるぷるぷるぷるになってしまった。どうにか働いて帰る。帰り道でみたらし団子を買う。観ていないけど、先日のケンミンショーで名古屋のみたらしには焦げ目がついていると話題になったらしく、名古屋のみたらしを知らない夫に食べてもらおうと買ったのだ。夫は山形出身で、暮らしの中にちょっとした異文化交流がしばしば起こりがちである。そしてそれがとても楽しい。知らないことを知る楽しさと、夫のバックボーンを知る楽しさと。

帰ったらうれしい絵はがきと本が届いていた。立花開さんとキムラトモミさんのポストカードブックを開くと、短歌と絵がうっとりするような世界を織りなしていた。手触りもとてもよくて、ずっと開いては眺めていたいくらい。このポストカードで誰かに手紙を書きたいな。

夕食のあと、野球を観ながらみたらし団子を食べる。とてもおいしい。野球はここに来て5連勝、京田くんが立浪解説員に「どうしちゃったんでしょうね」と言われるくらい打っていて観てて気持ちがいい。

水曜日くらいの疲労感に襲われ、早めに寝た。

 

09.15

腰が痛い。昨年発症した腰椎椎間板ヘルニアが痛んでいる。仕事中にふと昔勤めていた会社で教えてもらった評判のいい整体を思い出し、調べてみると家からそう遠くないことがわかった。仕事帰りに寄ることにする。

寄ってみた整体はボキボキ系のところで、つまりわたしもかなりボキボキされたのであった。わかっていてもかなりビビる。左足と右腕を二人で持って引っ張られたときには「!?!?!?!?!?!!!!?????」みたいになってしまった。しかし整体を受ける前と受けた後とで腰の痛みが全然違う。それになによりおしりが柔らかいのだ。それだけ筋肉が張っていたのを緩めてもらったんだろう。何かにつけてすぐ身体が張りやすいタイプの人間である。

 

09.16

整体の効果か、腰は痛むことなく快調である。朝、家を出る直前になくしものをしたことに気づく。物の定位置を決められないため、その辺に適当に置いてはなくすという現象をしばしば発生させてしまうんだけど、それが大切なものであればあるほど当然のことながら落ち込む。落ち込みながら会社に行った。

このところ昼休みに『ゴールデンカムイ』の無料公開を1日1冊ずつ読んでいたんだけど(そして、Twitterのフォロワーさんに「地獄の昼休みを過ごしている」と言われた)、そろそろ無料公開が終わるとのことで夜も読んだ。読み終わった。情緒がめちゃくちゃに乱れてしまった。それにしてもストーリーも登場人物も魅力に溢れてておもしろい。読み返すために、そしてアニメは見ているものの本を読むスピードが遅く、無料公開争奪戦に参加していない夫に読ませるために単行本を揃えるか迷っている。去年、夫の希望で金カムコラボの明治村に行ったんだけど、そのときはまったく金カムを知らない状態だった。なんともったいないことをしたことか!シライシが収監されていた監獄があるってのに!またやってくれないかなぁ。

 

09.17

台風接近で帰りが雨予報だったので、あえて自転車で会社に行く。この前セールで買ったKIUのレインポンチョを試してみたかったのだ。

仕事で久々に会社の人と長時間しゃべり、喉ががっさがさになってしまう。マスクなしで夫としゃべる以外はほとんど会話をしていないため、マスクごしにちょっと長くしゃべるだけでもかなり喉がかさつくことがわかった。

帰りにレインポンチョを着てみたところ、フードが口元まで覆う頭巾みたいなタイプだった。ゴールデンカムイにすっかり影響されているのでフンフン言いながら帰る。ちょっと蒸れるけど全然濡れなかった。いいものを得た。

 

09.18

休み。誕生日プレゼントにストウブを買ってもらおうか悩み、一旦レンタルしてみたものが届く。欲しいなぁと思っていたピコ・ココットではなくブレイザーだけど大丈夫でしょう。お昼はさっそくトマトクリームのワンポットパスタを作る。

午後からON READINGへ。10周年記念の展示である平行書物展を楽しみ、本屋さんでは何冊かの本を買う。ON READINGは選書のセンスがとにかくツボであるだけでなく、お店が広くないため1冊1冊をじっくり見て回れるのもいい。今回もリトルプレスの本などを買ってきた。

そのあと、ON READINGの下にあるカフェmetsaでお茶をする。ここのタルトはとてもおいしい。大好きな本屋に行っておいしいタルトを食べて、いい休日である。

夜はストウブの実力を見るためにカット野菜にキャベツとひらたけを足したものを敷き詰め、その上に豚肉を乗せて少し酒を振り蒸してみた。これがもうとってもおいしい。何もしていないのにおいしい。ほんの少し香り付けにポン酢しょうゆを振ったらごちそうのようにおいしい。ストウブすごいな、丁寧にこだわって料理をしたい人と真逆の人にもフィットするなんて。

孤独もさびしさもそこにいる

星野源が結婚を発表した。そのとき、ネットで「ガッキーと付き合っている人間が孤独を語っていたのかよ」という声を見て、それは違うんじゃないかなぁと思った。孤独やさびしさというものは、どんな恋人や配偶者がいたとしても、別枠で存在するものだと思っているからだ。

パートナーがいるかいないかに関わらず、パートナーがどんな人であるかに関わらず、ひとの心には孤独やさびしさが存在していて、それを引き受けながら日々を過ごすことが生きることだとも思っている。わたしにとって、孤独やさびしさは、古くからそばにいるものだ。交際を始めてから3年ちょっとの夫がはるかに及ばないくらい長い間近くにいて、夫がパートナーになってからもずっとそばにいる。

 

夫と同居を始めて、そして夫と結婚したあとのことだ。今までのようなさびしい気持ちが胸に溢れることがあって、そのときわたしはひどく安心した。結婚したあとも、さびしさを確かに感じられることに。

結婚したときに、わたしは安心して帰ることのできる場所を得たと書いた。夫との関係では恋人時代から不安になることがなく、とても優しく穏やかで、安心という言葉がぴったりだった。それでも、わたしはさびしくなったのだ。ここは帰る場所なのに、それでも自分のことを根無し草だと思ったのだ。

夫と何かあったわけではない。夫は変わらず、ともすれば結婚前よりも優しく、安心した生活をともに送っている。ではなぜなのか、と思われるかもしれない。少し考えてみて、さびしさや孤独のすべてに理由があるわけではないということに思い至った。人間の感情すべて、理由があって起こるものばかりではないのだ。理由のない感情って、とても人間っぽいというか、自分の大事なピースのようなもの。だから、さびしさを感じたとき、わたしはわたしのままだということも一緒に感じて安心したのだろう。

 

寝相の悪い夫が布団を寝袋のように身体に巻きつけ、そして隅で寝ていたわたしにぶつかってくる。わたしは目を覚ます。夫は気づくそぶりもなくぐっすり眠っている。眠りひとつ取ってもこんなに違う夫とわたしなので、それぞれが持つ孤独やさびしさの形や大きさもまた違う。そのことを思うとき、わたしたちはどうしようもなくひとり同士で、そしてふたりなのだとしみじみ感じる。わたしの布団を大きく侵蝕して眠る夫をどうすべきか少し思案して、そのまま寝かせることにする。わたしはわたしで、自分の眠りに入るべく目を閉じる。ひとりの夜をひとりで泳ぎ、それぞれ目覚め、同じ食卓を囲むために。

 

先日、わたしが帰宅後におかまと米が入っていない状態で炊飯器のスイッチを押してしまう事件があった。暑い時期は研いだお米を炊飯器に入れっぱなしにせず冷蔵庫で吸水させているんだけど、それをすっかり忘れていたのだ。お米は後から家を出る夫が用意するので、「炊飯器に貼り紙をしておいて」と言ったらこんなダイニングメッセージが残されていた。

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わたしが野球を観ながらブログを書いている今、夫は隣でSwitchのモンハンをしている。それぞれの感情を持ち、それぞれにしたいことをしながら夜を楽しく過ごしている。

ままならない身体で生きてやる

今年は例年よりうんと早く梅雨入りしてしまった。くせ毛の髪は自由奔放にうねり広がり、トリートメントもスタイリング剤ももはや何の意味も成さなくなった。今はわけあって(わけはない)髪を伸ばしているので、どうにか結ぶことで髪のうねりをごまかしている。わたしの身体は髪の毛の1本すらままならない。

 

そういえば、3月に入ったころのことである。わたしのメンタルは突然、上向きに振れてしまった。とにかく元気があり余り、夜あまり眠れなくなり、それでもとても元気。何でもできそうな気持ちで満たされ、気持ちが大きくなってついつい買い物をしてしまい、その割にあらゆることが手に着かず、短歌だってつくれない。休日の午前中は基本的に寝ているのに、寝なくてもまったく平気になり、それどころか空も飛べそうなくらい身体が軽くなった。空も飛べそうどころか、オフィスや自宅マンションの窓を突き破ったとしてもそのまま落ちることなく飛べると思っていた。誰彼構わず口喧嘩をふっかけたくなり、そしてその口喧嘩に負ける気もしなかった。

いよいよまずい、そう思いかかりつけのメンタルクリニックに駆け込んだところ、これまで20年ほどわたしにつけられていた病気とは別の病気という診断が下りた。突如躁転し、病名が変更になることはまれによくあるケースらしい。今まで飲んでいた薬も変わり、治療が目指すところもがらっと変わった。

今までの病気では、というよりわたしの人生は基本的に下に振れてばかりだったため、そういうときの対処法もそれなりに身につけてはいた。なにしろ学生時代からの20年選手だったのである。ところが、まさか、そう信じていた病気ではなかったなんて。わたしの人生の半分以上が覆ってしまったのである。20代のころの引きこもり無職のわたしへ、難治性って言われたけどそもそもその病気違うってよ。しかも30代半ばまでそれがわからないってよ。

新しい病気では上にも下にも振れていないフラットな状態をいかに保つのかが鍵になってくるそうなのだが、しかしわたしにはフラットな状態がわからない。なんたって基本的に下に振れて生活してきたのだ。下に振れた状態でどうにか日々を暮らし、それでもたまにセルフモニタリングがぶっ壊れて休むよう言われたりしてきたのだ。服薬のおかげか、最近はすっかり身体に重みが戻ってきた。喧嘩したい気持ちも空を飛べそうな気持ちもなくなり、衝動買いしたものを見て頭を抱えていて、短歌はぼちぼちつくれるようになった。でもこれがフラットな状態なのかというとまだわからない。わからないなりに、フラットな状態をつかめるよう生きていくしかない。

まったく、ままならない身体である。

 

昨年12月には腰椎椎間板ヘルニアになり、以後ずっと痛み止めの服薬が続いている。卵巣嚢種も見つかり、手術するか否かを決めるために大学病院で検査も行ったりした。結果的に卵巣嚢種はしぼみ、ホルモンバランスによるものということで手術は見送りになった。

さいころから致命的なものはないけど、なんとなく身体が丈夫ではない人生を送ってきた。風邪を引きにくくなるらしいということで放り込まれたスイミングスクールも、結局風邪を引いて振り替えレッスンを受ける羽目になるほどである。保育園には2年通ったけど、出席ノートの皆勤シールが貼られた月はなかったくらいだ。

年々、その身体のままならなさはじわりじわりとわたしに迫ってきている。つい先日も、肌の弱さから粉瘤ができ、切開して膿を出してもらったばかりである。

 

それでも、このままならない身体で生きるしかない。

絶望したくなることはたくさんあるし、今の世の中にはだいたい絶望しているけど、まだわたしにはやりたいことも見たいものも聞きたいものも食べたいものもたくさんある。夫とだって、まだまだ一緒に過ごしたい。30代になって、ようやく楽しいものを楽しいと受け取れるようになったのだ。まだとうぶん、このままならない身体で生きてやる。そのためには、この身体を引き受けてやらなきゃね。

 


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