さらさら録

日々のさらさらの記録

かなしさやさぶしさに、やさしい八木重吉の詩を

ツイッターのタイムラインに、フォロワーさんからこの言葉が流れてきた。

いろいろに
かんがへてみても
よのなかがきたなくて
きたなくて
じぶんがみにくくてならぬならば
しづかな花をおほきくかんがへるがいい
八木重吉

その言葉に胸を打たれたわたしは、青空文庫で彼の遺したほんの2冊の詩集をダウンロードした。

秋の瞳

秋の瞳

八木重吉と言われても知らない人は多いかもしれないが、ひょっとしたらこれらの詩は知っているかもしれない。

心よ


こころよ
では いっておいで

しかし
また もどっておいでね

やっぱり
ここが いいのだに

こころよ
では 行っておいで

素朴な琴


このあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしづかに鳴りいだすだらう

『心よ』はEテレの『にほんごであそぼ』で歌になっている。わたしはそこで知った。

 八木重吉の詩は数行の短いものが多く、かなしさやさびしさにすうっとやさしく染み渡る。それは、彼がクリスチャンであったこと、29歳で夭折していることとも関係しているのかもしれない。人によっては、彼の作品を詩だと思わない人もいるだろう。だけどわたしは、言葉を削ぎ落とし研ぎ澄まして作られた、紛れも無い詩だと考えている。

 いくつか、好きな詩を挙げてみた。
 これからわたしは、かなしいときやさびしいときに、彼の詩を読むだろう。四季や死や子や自然や、身近な事象に向けられた彼のやさしい言葉と想いを。

つくしいもの


わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ

はらへたまつてゆく かなしみ


かなしみは しづかに たまつてくる
しみじみと そして なみなみと
たまりたまつてくる わたしの かなしみは
ひそかに だが つよく 透きとほつて ゆく

こうして わたしは 痴人のごとく
さいげんもなく かなしみを たべてゐる
いづくへとても ゆくところもないゆえ
のこりなく かなしみは はらへたまつてゆく

花がふってくると思う


花がふってくると思う
花がふってくるとおもう
この てのひらにうけとろうとおもう


ひかりとあそびたい
わらったり
哭ないたり
つきとばしあったりしてあそびたい

不思議


こころが美しくなると
そこいらが
明るく かるげになってくる
どんな不思議がうまれても
おどろかないとおもえてくる
はやく
不思議がうまれればいいなあとおもえてくる

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