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さらさら録

日々のさらさらの記録

たとへば君 四十年の恋歌 - 河野裕子、永田和宏

レビューのようなもの

存在を知っていたこの本を読もうと思ったのは、日経新聞に連載されている永田和宏のコラムに心惹かれたから、そしてわたしも歌作を再開していたからだった。

前の会社では社内サイトで日経新聞の業界関連記事と1面記事が読めるようになっていて(たぶんそういう契約なんだろう)、1面記事の中にそのコラムは載っていたのだ。

河野裕子というと、

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私を攫つて行つてはくれぬか

 という1首で知られる歌人である。そして、夫の永田和宏もまた歌人であり細胞学者であること、そして短歌によって出会い結ばれた夫婦だということは知っていた。そして既に、河野裕子が亡くなっていることも。

 

そのコラムはこういった内容だった。永田が海外の学会に赴き、スライドを上映しようとしたところ、スクリーンに映ったのは永田が壁紙にしている20歳の頃の“可愛い”(永田談)河野の横顔の写真であった。セッティングし直す間に、「これは亡くなった妻だ、従いてきたのかな」などと言うと聴衆に受けていた。どうにか発表を終えることはできたが、非常に困った。これを「河野裕子の呪い」と読んでいるいうエピソードである。

河野裕子の呪い 歌人・京都産業大学教授 永田和宏 :日本経済新聞

何気ないようなエピソードでいて、そこからこぼれた亡き妻への思いにはっとしたのだ。そしてわたしは、この歌人夫妻が遺した相聞歌を読みたいと思い、この本を手に取った。

 

たとへば君―四十年の恋歌

たとへば君―四十年の恋歌

 

 河野21歳・永田20歳のときに歌会にて出会い、惹かれ合い、結婚し子を産み転居を繰り返し、そして河野が2010年に64歳でこの世を去るまでの相聞歌とエッセイのアンソロジーによって編まれた本である。一気に読んで、深いため息をついた。ああ、恋歌は青春期のものばかりではないのだ、このふたりは、互いを補い合い詠み合うことが夫婦として当たり前の形だったのだ、と。この本に収められた歌たちは、恋歌であると同時に、スライス・オブ・ライフの手法で描かれた夫婦のノンフィクションであるようにも思われた。随所で織り込まれる河野のエッセイ(これまた豊かな言葉と澄んだ味わいで面白い)が、よりいっそうわたしにそう思わせた。

 心身が繊弱で、自信を持てずにいた河野をこの世界に繋ぎとめておいてやらないとと「君はそのままでいいんだ」と言った永田。幼くして母と死別した永田を寂しい人だと思い、すべての愛情をかけようと思った河野。わたしにはこの世界に運命の相手がいるなんてことはわからないんだけど、このふたりは出会うべくして出会い惹かれ恋し続けたのだろう。恋の賞味期限は3年だなんてよく言われるけど、この本を読むとそんなことは言えなくなる。河野が亡くなった今も、永田は河野を想う歌を詠み続けているし、上記の日経に寄せたエピソードからもそれは窺い知れる。

 わたしの中で、河野裕子というと、とても澄んだ官能に溢れ、やや難解な言い回しを用いる歌人という印象があった。だけど、この本を読んでいるうちに彼女の作風の変化もありありと手に取るようにわかり、「こんなにシンプルだけど締まった歌を詠む人だったのか」と驚かされた。「たとへば君」の歌のイメージがすべてではなかった。そこには乳癌の発病の影響もあるのかもしれないけれど。

このひとをあんなにも傷つけてしまつた日どの錠剤も白かつたのだけど

   ―河野裕子『庭』より

 

傍に居て 男のからだは暖かい見た目よりはずつと桐の木

   ―河野裕子『葦舟』より

 素直である分、癌とその後遺症の痛みが伝わってくる。歌を読んでいると、ただひたすら恋し愛し合っているだけでなく、夫婦で喧嘩したあとも現実を生きることも描かれている。この夫婦は、会話以外に短歌でも互いを知ることができた。もっと言うなら、短歌で初めて知った胸の内もあった。そうした在り方に、わたしはすっかり圧倒されてしまった。

自意識に苦しみゐし頃わが歩幅考へず君は足早なりき

広すぎる歩幅と思ひ並びゆくわたしは今も小さすぎるか

   ―河野裕子『歳月』より

 

君が歩幅を考えず歩きいたる頃せっぱつまりしように恋いいし

あのころは歩き疲れるまで歩き崩れるようにともに睡りき

   ―永田和宏『華氏』より

 河野の歌が右のページ、永田の歌が左のページに並んでいて、同じようなモチーフを詠んでも全然違う歌になるものだと思い、ああやっぱり短歌って面白い、いいなぁと呟いた。同じようなモチーフのスライス・オブ・ライフの中でも、次の歌はどちらも思わず微笑んでしまった。

歯茎腫れてまた童顔となりし妻頰づえをついて選歌しており

   ―永田和宏『風位』より

 

投稿のハガキの山の間に沈み永田和宏あくび大明神

   ―河野裕子『葦舟』より

 

河野は毎日新聞歌壇、永田は朝日新聞歌壇の選者を務めていたんだけど、こうした歌人としての仕事の風景を詠みこめるのはこの夫婦ならではなんだろうな。それにしても、河野の夫の名前が「永田和宏」なのはつくづくずるい。河野はたびたび「永田和宏」とフルネームで名前を詠みこんでいるんだけど、きれいに7文字なんだから。

 読み進めながら、「わたしもこういう歌を詠みたい」という欲求が起きてきた。収められた歌はどれもハイレベルで、簡単にはたどり着けない境地なんだけど。お互いを詠み合う、ひとりをずっと見つめ詠む、そういう歌を詠みたいと思った。相聞歌、誰か一緒に詠みませんか。思わずそう言ってしまいたくなるほどに魅力的な歌たちがこの本には収められていた。若い頃の歌には、赤面してしまうようなド直球の歌もあるんだけど。

 

しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ

   ―河野裕子『ひるがほ』より

 

森閑と冥き葉月をみごもりし妻には聞こえているという蝉よ

   ―永田和宏メビウスの地平』より

 

河野と命のそばには、蝉の声があった。出産、そして決して詠むことをやめなかった死のそばに。河野裕子は8月の半ばに第一子を出産し、数十年のちの「蝉声が沁み入るような夏の日」であった8月12日に亡くなった。

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

   ―河野裕子『蝉声』より 絶歌

わたしは、この本を蝉声が絶えず聞こえてくる部屋にて手に取り読み終えた。そこに不思議な導きのようなものを感じたのは、わたしの思い過ごしかもしれない。だけど、蝉声の中で読み終えることができたのはとても幸福なことだと思った。彼女に聞こえていた蝉声と、わたしが聞いている蝉声が、少しでも似ていたらうれしいとも。

読み終えたとき、思わず手帳に書き付けた歌を最後に載せておく。ふたりの素晴らしい歌人の歌を引いた後に載せるのはとても気恥ずかしいけど、わたしなりの追悼と感銘を込めて。

 

蝉声の間(ま)に間(ま)に読みし恋の歌ひとつひとつをたましいとして

 

今週のお題「読書の夏」

 

そういえば、河野裕子の短歌を元にした漫画のレビューも書いていたのでした。

こちらも素敵な作品なのでぜひ。作中に登場する歌は『たとへば君』には出てきません。

 

baumkuchen.hatenablog.jp

 

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