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さらさら録

日々のさらさらの記録

さようならを歓びと呼びたい

「2014年のお別れ」について、今年経験した別れをきっかけにした下書きのがあったので、それを今年のうちに形にしようと思った。


そのきっかけとなった別れから少し経ったあと、なぜかわたしは祝福の気持ちに包まれていた。そして、アルバムすべてが祝福で出来ているような、くるりの「ワルツを踊れ」を聴きながら通勤していた。
ワルツを踊れ Tanz Walzer
ちょうどバス通勤なので、帰り道に吐息で曇った窓に指で花びらを描いてみたりしながら聴いていた。そして初めてそのとき、「ジュビリー」の意味がわかった。瞬間、涙がこぼれ落ちて止まらなくなって、停車ボタンを押し忘れて1区間歩くことになった。


くるり - ジュビリー - YouTube

チオビタドリンクのCMソングとして知っている人も多いかもしれない。わたしもCMで聴いて、「ああ、きれいでやさしい曲だなぁ」と思い、フルで聴いて歌詞を読んで「別れの歌じゃないか!」とびっくりしたものである。
何で別れの曲なのにジュビリーなんだ!そしてそれがこんなにやさしい曲なんだ!と。
そのときのわたしには、このフレーズが理解できなかった。

Jubilee
歓びとは 誰かが去るかなしみを
胸に抱きながらあふれた
一粒の雫なんだろう

なんでかなしみの涙が歓びなの?と、そう感じていた。


ジュビリーを辞書で引くと、こう書かれている。

jubilee[名]
1 (特に25周年または50周年)記念祭(anniversary);(一般に)祝祭,祝典
2 [U]歓喜.
3 《カトリック》(ふつう25年ごとの)大赦の年.
4 《聖書》ヨベルの年:50年ごとの安息の年. ⇒SABBATICAL YEAR 2
[もとはヘブライ語yōbhēl(雄羊の角). →「喜びの叫び」→「歓喜」]
プログレッシブ英和中辞典より)

ここは原義に近い2の「歓喜」がもっとも適当だろう。
別れの歌でありながら、「歓喜」というタイトルがつけられたこの曲の意味を、自分に訪れたひとつの形の別れのおかげでようやく知ることができた。
そしてその深さにため息をついた。


手を振って、「またね」と言い合って別れて、それぞれのライフを探し離れ離れの道を行く。それをかなしみ、一滴の涙を落とす。
失ってしまったものは地図になって、自分を新しい場所へ連れて行く。
それは、一見するととても悲しくて切ないものだろう。でも、そうじゃない。
別れも悲しみも想い出も、すべてが生きているから訪れるものであり、別れは新しいスタートであり、つまりは生きていることこそがジュビリー=歓びなんだ。
生きていく上で避けられない「別れ」は、生きているからこそ訪れる「歓び」なんだ。


わたしの中で、別れを歓びと呼ぶことのピースが噛みあった瞬間だった。その頃に感じていた、よくわからないところから来ていた祝福の気持ちの理由がわかった瞬間でもあった。
そして、止めどなく涙が溢れた。


「ジュビリー」の解釈については、聴いたひとの数だけあるだろう。
あくまでもこれは、わたしの中での解釈にしか過ぎないし、すべての別れを歓びと呼べるわけでもないだろう。
だけどわたしは、別れを歓びと呼ぶことにとても救われたのだ。
それは、うつからの回復過程にあって、感情がちゃんと動くようになった歓びも重なってはいるだろうけど。ちゃんと感情が動くということも、「生きている」ということだ。


別れの悲しみから、目を逸らす必要はない。悲しみを見つめた上で、それでも「ジュビリー」*1を歌って歩きたい。
それは、今年訪れた愛しい別れ*2がくれた新しい気持ちだ。

*1:「ジュビリー」といえば、くるりだけでなく中村一義も同じタイトルの曲を歌っていて、そのどちらも好きだ。ふたつのジュビリーが収められているアルバム「ワルツを踊れ」と「ERA」はわたしにとって祝福のアルバムだ

*2:この別れは恋愛の別れのみを指しているわけではなく、離別を指しているわけでもなく、ひとやものやことに当てはまる

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