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さらさら録

日々のさらさらの記録

どうか、忘れないでいて。憶えていて。

思ったこと 自分のこと

はてなブログAndroidアプリがリリースされたので、アプリのみで書いてみようと思う。*1






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わたしには、自殺願望よりもっとゆるくて根強くて破滅的な消滅願望がある。
たまに聞かれる、「死にたいんじゃなくて消えたい」という類のものである。
それは物心ついた頃からずっとあって、どんなときだって心の隅に「消えたい」という想いは必ず居座っていた。


「消えたい」
「こんなわたしに関わってくれた人の記憶をすべて消したい」
「わたしのことなんか忘れてほしい」


こんな消滅願望を抱きながら、認められたい愛されたいとも願う自分の歪さにも気づいていた。
その歪さに気づいては、また消滅願望を濃くした。
「死にたいんじゃない。ただ、わたしに関わるすべての思い出や記憶と一緒に、存在ごと消えたい」
自分の存在だけじゃなく、他の人の記憶すら消えてほしいと願うところに、その想いの深さと間違ったやさしさが覗く、死神に似た顔をしたわたしの友人。



そんなわたしだったのに。
今の会社に勤めたこと、そして東京旅行に行ったことで少しずつ友人との付き合い方が変わってきた。
最初に気づいたのは、会社でお世話になったひとが異動になったとき。
挨拶したときに、「短い間だけど、一緒に働けてうれしかったです。わたしのこと、忘れちゃわないでくださいね」と淀みなく口から出てきて自分が一番驚いた。
わたしが、「忘れないで」なんて言うなんて。


心が少しずつ回復して、ちょっとだけ認知の歪みに気づいて、仲のいいひとが増えて、思い出も増えて、そのたびに「忘れたくない。忘れてほしくない。覚えていてほしい」と想うようになった。
この前の夢のように楽しかった東京旅行でもいろいろあったけど、会えたひとたちに、わたしが東京に来たことを、一緒に時間を過ごしてごはんを食べていろんな話をして笑い合ったことを、どうか忘れないでほしい、と強く固く強く想い願った。
いつだって、忘れてほしいと願っていたはずなのに。


よく、人の死は2回訪れると言われる。
1度目は、肉体的な死。
2度目は、記憶から忘れ去られたことによる死。
わたしは、記憶から消えてしまいたいと思うことで、2度目の死を望んでいたのかもしれない。

つまり、「忘れないでほしい」と想うようになったということは、「誰かの記憶の中で生きていたい」と想うようになった、と言い換えることができるだろう。


わたしに対して、ポジティブな記憶を持っている人ばかりではないだろうし、恨んでるひとや傷つけたひとだっているだろう。
それでも構わないから、わたしを覚えていて、忘れないでいて。
今は、身勝手だけどそう想う。


人の記憶は不変ではないし、よく「記憶力がいい」と言われ些末なことを詳細に覚えているわたしの記憶でもこぼれ落ちていくものはあるだろう。
だけど、わたしはそれに抗って、なるべくたくさんの関わったひとたちを憶えていたい。忘れたくない。
たとえ生きていてもいなくても、遠ざかっても、便りがなくても、会えなくても、見えなくても。
そして、わたしのことも、憶えていてほしい。忘れてほしくない。
確かにわたしが、そのひとがいた証として。


誤解を恐れずに言うなら、今も消滅願望自体はなくなっていない。
だけど、死神によく似た顔をした古くからの友人と、並んでお酒を酌み交わせる程度の仲にはなってきた。時々ものすごく暴れることもあるけど。



こうしてエントリを書くことで、わたしはまた想いを刻んでいく。
忘れないよ、忘れないで、と。

*1:実はアプリリリース後もブラウザを併用して書いてはいた

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