さらさら録

日々のさらさらの記録

心が強くなくたっていいんだよ、と言えるように

NHK ハートネットTVの3夜連続特集「20代の自殺」をツイッターで実況しながら見た。

ハートネットTV:20代の自殺 - NHK福祉ポータル ハートネット
サイトに番組動画がアーカイブされていて書き起こしまで載ってるなんてすごい…!

特集自体に言いたいことはいっぱいあるんだけど、今日は特に言いたいことを。


マッチョな価値観が、より人を追い詰める

この番組をツイッターで実況するときは「#nhk_heart」のハッシュタグをずっと追っていた。
番組に共感する声、今の苦しみを吐露する声に混じって「甘えてる」「心が弱い」「食べ物があって住むところがあるだけで幸せだろ」「もっと心を鍛えろ」といったマッチョな言葉も流れていった。
どうしても、わたしの心にはそれが引っかかってしまった。

というのも、わたしが自殺願望と隣合わせに生きていた頃、そう言われることがつらさに拍車をかけていたのだ。
「わたしが弱いからいけないんだ」
「もっと強くならなきゃ、もっとがんばらなきゃ、どうがんばればいいかわかんないけど、でもがんばんなきゃ」
「死にたいなんて言っちゃだめだ、思っちゃだめだ」
「わたしは恵まれてるんだ、だから死にたくなんてならないはずなんだ」
どんどん自分を責めては、「こんな弱くて罰当たりな自分なんか、いなければいい」と更に自殺願望を募らせ、自傷行為に走ったり自殺企図に出たりする。

言う人は、良かれと思って言っているのかもしれない*1
だけど、弱っている人間にとっては、今以上に自分を責める元になるだけなんじゃないかな、と思う。


身体でも心でも鍛えることができるといった価値観は、結局のところ多くの人を生きづらくしているだけなんじゃないだろうか。
「強くあれ」という風潮は、なんだかとても息苦しくて、強さがすべてではないはず、なのに。

心の強い弱いも、身体と同じように個人差がある

実は、ハートネットTVのタイムラインを見ていて、思わずリプライを送ってしまったことがある。


この、「身体が弱い人がいるように、心が弱い人もいる」というのはわたしの経験則から導かれた持論。
身体が弱いということは比較的受け入れられるし体質の違いというものが存在することもある程度認知されているのに、どうして心が弱いということは受け入れられない…というか、悪とすら扱われるんだろう、という疑問が出発点だった。
身体が元々弱い人が鍛えても元々強い人から見たらまだまだ弱いように、心が強い人から見たら心が弱い人のことは苛立たしい存在なのかもしれない。
だけど、心は鍛えれば強くなるなんて言われるけど、そんなにシンプルなものなのかな?と思っていた。

そんなとき、精神科の主治医の言葉に出会った。
「近頃、こころを意のままに操ろうという風潮が見受けられます。しかし、本来こころはもっと自由であたたかいものであるはずです」*2
今の主治医の門を叩いた最初の診察で、「わたしの心が悪いから、わたしが出来損ないの悪い子だからいけないんです、だけど苦しいんです」と嗚咽するわたしに、「心が強いとか弱いだとか、そんなことは考えなくていいんですよ。他の言葉に惑わされず、そのままのあなたの心を受け止めてください」と言われた。
受け止められるようになるまで時間がかかったけど、受け止められるようになってから、その言葉の意味がわかる。

自分のそのままのこころを押し込めることなく、自由に感じるがままに生きること*3
そして、親しい誰かの心も、そのままの受け止め自分の意に沿うように操ろうとしたり説教したりしないで受け止めること。
受け入れ受け止めてしまえば、心が弱くたって「これがわたしなんだ」と生きていけるし、寛容さという「心の強さ」とは別の強さを持つことだってできる。



わたしにできることは些細なことしかなくて、少しでも優しい世の中になればいいな…という願いを込めてブログを書くことくらいしか、今はできないけど。
「心が強くなくなっていいんだよ、無理に強くならなくたっていいんだよ」と言える人になりたい。そして、言える世の中にしたい。
一人でも多くの人が、「心の強い弱いにも個人差があるんだ」という考えを心の片隅にでも置いて人に接することができるようになったら、きっと心が強い人だけが生き残れるような世の中にはならない。理想論かもしれないけど、そう考えてやまない。


http://instagram.com/p/szELMImDri/
最近、会社でもらったお菓子大集合。
他の課の係長にまでなぜかもらうようになってしまった。
優しさが、お菓子に形を変えて廻り廻ってる。とてもあたたかくてうれしい。

*1:弱っている人を叩いて溜飲を下げてすっきりしたいだけの人は論外。あのハッシュタグにはそういう人もいただろうけど

*2:とても好きな言葉かつわたしの根幹にある考え方なので、言い回しは変わっても同じ主旨が今後何度もこのブログに登場すると思われます

*3:とはいえ、認知の歪みは少しずつ気づきを重ねて見直す必要がありますが

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