さらさら録

日々のさらさらの記録

すぐ泣いちゃうわたしの、あんまり役に立たない話

泣く大人

すぐ泣いちゃう
30前の女だけど泣きなくないのに涙出て困ることは多々ある。ものすごく怒ってるときに泣けてくると途方に暮れる

わたしはとてもよく泣く。びっくりするほど泣いてしまう。
よく泣く子供だったし、今もよく泣く大人だ。
なので、最近聞く「涙活」とやらはさっぱりぴんと来ない。


感動して泣くのならまだいいんだけど、いや良くない。
映画を観に行って上映前の各種予告編ですでにぼろぼろ泣いているのが当たり前というのは、やっぱり泣きすぎだ。
おかげで映画を観に行ったあとは干からびてしまっている。
それくらいよく泣くのだ。

理不尽だと思ったときに泣いてしまう

問題は、怒ったり理不尽だと思った時や自分が情けなかったとき、びっくりしたときや混乱したときにもぼろぼろと泣けてきてしまうところ。
去年辞めた会社ではパワハラにより理不尽にひどく叱責されることが多々あったんだけど、そのたびに勝手に泣けてくるのである。
当然、上司は更に激高し怒鳴る。けど、わたしは叱責されて泣くのは社会人失格だと頭ではわかっていても涙が止まらない。
それ以外にも、仕事中にタスクが重なって混乱状態に陥ったり、大きな声を聞いてびっくりしたときなんかにも勝手に声が震えて泣けてしまう。
「仕事中に泣いてしまう」とググってみても、だいたいは発言小町あたりで「社会人なら泣くな。それは甘え」「泣けば済むと思ってるだけ」と言われておしまい。
甘えてなくて、許されたいとも思ってなくて、一生懸命やった結果勝手に涙が出てきてしまうのに、これ以上どうしろ?と腹が立ってきて余計に泣く。
そして、こうして泣いてしまう自分が情けなくて腹立たしくてますます泣いてしまう。悪循環ループ。

こんなわたしが泣けなくなるときは、ひどい抑うつ状態に陥ったとき。
感情の波がフラットになってしまうから泣くことはない。けど、感情の波がフラットなのは決していいことではない。
そのまま塞ぎこんでしまうのだ。

なので、泣けることはひとつのバロメータではある。
けど、社会生活を送る上で不便であることは事実なので、少しでもどうにかしたいところ。
以下は、わたしが普段心がけていること。

対処法その1 泣いちゃう自分を受け入れる

精神科の主治医に話したところ、「程度問題ではあるけど、泣けなくなるより泣けるほうがよっぽどいいから。そういう性格も悪いものじゃないですよ。泣く自分を責めないように」と言われた。
泣く自分を責めて更に泣くことまでお見通しだった。
泣かないようにすることを考えるより、どうしても泣いてしまうんだったらそれに対してどう対処するのかを考えたほうが建設的なんだろうな。
「泣いちゃっても仕方ない」と思えば、少なくとも悪循環ループにハマる前に断ち切れる。
「どうして泣いちゃうんだろう」と考え込むのもやめて、泣く自分を認めてみる。

対処法その2 ごまかす

全然対処法になってない気もするけど、何もしないよりはちょっと気が楽。
わたしは普段ハードコンタクトを常用してるので*1、ゴミが入ったふりをしてさっと目を拭っている。
これなら、目が赤くても見過ごしてもらえる。
泣くと鼻水も出るので、アレルギー性結膜炎や花粉症や風邪のフリをしてごまかすのもあり。
自分ではどうにもならずに泣いているとしても、端から見たらあまり心証のいいものではないので、他の生理反応を装ってごまかすことはたびたびやっている。

結局のところ

感受性が強すぎて生きづらいタイプの人*2ほど、泣いちゃいやすいんじゃないかと思う。
感受性が強すぎることは病気でもないしどうにかできるものでもないし、受け入れて付き合っていかなきゃいけない気質なんだろうな。
本人だけが受け入れるんじゃなく、周りの人も人の感受性を押さえつけたりしないで、感情を出さないようにすることを過度に求めないようになったら、ちょっとずつみんなにとって生きやすい世の中になる。
泣いちゃう人も、泣けない人もいる。いろんな人がいて、世界はできてるんだから。


倉橋ヨエコの「泣き止め剤」、初めて聴いた時に「欲しい!」と思った。
だって大人なんだもん、だって甘えて泣いちゃいけないんだもん…って。
あれから10年以上経ったけど、未だに泣き止め剤を見つけられないまま、フリスクのベリーミントを噛んで泣く自分を受け入れたいと思ってる。

*1:ハードコンタクトはちょっとしたゴミや埃が目に入っただけで激痛。場合によっては涙も出るしゴミの入った側だけ鼻水も出る

*2:少し前に「HSP」という特性の話があったよね

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