さらさら録

日々のさらさらの記録

知的障害者だったKちゃんの話

はてブで「池沼」と罵るは削除に値する差別的表現でないというのが株式会社はてなの公式見解 - 漫画(ry跡地
身内に知的障害者がいるわたしは池沼という文字を見るたびに唇を噛んで耐えている。繊細チンピラなのは百も承知だけど罵倒語として使われるのはつらい

差別用語をどこまで拡大解釈するかという話 - 価値のない話
池沼というスラングの起こりや使われ方を調べたとき、何重にも傷つき悲しくなった。身内の知的障害者を思い泣いた。言葉狩りになるから削除要請はせず唇を噛んで耐えるけど、使った人は絶対許さないよ

「池沼」というネットスラングを見るたびに、わたしは心臓をぎゅっと掴まれたように胸が痛くなり、息が止まりそうなくらいに凍りついてしまう。
他の差別用語でもそのようになってしまうのだけど、特に「池沼」は堪える。

それは、身内に知的障害者がいるからかもしれない。
いや、正確に言えば「いた」だ。
母の従兄弟は、知的障害者だった。

いつか書きたかったことだけど、ちょうど書くタイミングかもしれないな。

Kちゃんが知的障害者になった理由

わたしの家族は、彼をKちゃんと呼んでいた。
母が彼をそう呼んでいたので、それが父や義父(つまりわたしの祖父)や娘たちにも伝染していった。

Kちゃんは、戦時中に生まれた。
先天的に知的障害があったわけではなかった。
幼いころに破傷風に罹り、高熱と痙攣を起こした後遺症として残ったものだと聞いている。
戦時下ということでまともに医療を受けられる時代じゃなかったから、死ななかっただけ奇跡というレベルだったらしい。

当時を知っている人たちはみんな鬼籍に入ってしまったので伝聞ばかりだけど、おおまかに言うとそういうことみたい。
結果、Kちゃんには知的障害と軽度の難聴と軽い運動障害とてんかんのような発作が残った。
知的障害の程度としては、小学校低学年くらいの知能だった。

戦中戦後の混乱期ということもあってか、それなりに世間は受け入れてくれたみたいだ。
わたしの母の伯母の力添えもあって、小学校を出て、少ししてから食品工場に勤め始めた。
母の伯母が亡くなってからは一人で暮らしながら工場で働き続けた。
母の伯父は戦争で亡くなったんだったかな。なぜか伯父の存在は親戚間でもあまり語られたことがないからわからない。

Kちゃんは、時代に翻弄された人だった。

Kちゃんとわたし

ややこしいので家系図的なものを。
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こうして見るとけっこう遠いけど、付き合いは全然遠くなかったな。

母の伯母が亡くなってから、よく面倒を見ていたのはわたしの祖母と母だった。
母が結婚した先がKちゃんの家と地下鉄で3駅だったこともあって、母がメインで面倒を見てた。
母の結婚相手の父も義父(わたしの祖父)も当たり前のようにKちゃんを受け入れていて、Kちゃんもよく自転車で家に遊びに来た。
工場で作っているシュークリームやアップルパイを持って。朝でも昼でも「こーんばーんは」って言いながら。

わたしの中でのKちゃんは、「いつもシュークリームやアップルパイを持ってきて、時々おもちゃを買ってきてくれて、高い高いしたりメリーゴーランドして遊んでくれる優しいおじさん」だった。
知的障害があるなんてまったく思いもしなかったし、妹に聞いてみても妹もそう思ってなかった。
わたしも妹も、Kちゃんが遊びに来るのが楽しみだった。Kちゃんはわたしと妹をとてもかわいがってくれたし、わたしも妹もKちゃんが好きだった。
KちゃんはKちゃんで、それ以上でも以下でもなかった。

Kちゃんの晩年

60歳で工場を定年退職したあと、Kちゃんは近所を散歩したり自転車で好きな動物園へ行ったりしながら毎日を過ごしていた。
加齢に伴って少しづつ身体のあちこちが悪くなり、認知症のような症状も出ていたけど、母が定期的に様子を見に行くことと近所のタバコ屋さんの協力、要支援認定での食事宅配サービスを使いながら一人暮らしをしていた。

さすがに一人暮らしが危なくなってきたので、母は施設を探した。
片っ端から施設に問い合わせても、ただでさえ要介護認定を受けた人が順番待ちをしているような時代に、身体障害者4級+要支援認定ではなかなか見つからない。
ある施設で「愛護手帳があれば」と言われ、母は愛護手帳を探した。

しかし、Kちゃんは身体障害者手帳しか持っていなかった。愛護手帳*1の存在を母の伯母は知らなかったため申請を出していなかったことが、そのとき初めてわかった。
愛護手帳は1973年(昭和48年)に厚生省(現厚生労働省)が出した通知(「療育手帳制度について」)に基づくものなので、知らなかったとしても仕方ない…とはいえ行政が一言教えてくれてたら、とは今でも思う。
知的障害者福祉センターに出向いてもみたけど、今から愛護手帳の申請をしようにも、そもそも知的障害者となった経緯や過去の通知表などの客観的証拠がまったくないため、認定は難しいと言われてしまった。

施設を探すようになった理由は、もうひとつあった。
当時一人暮らしをしていたわたしが実家に帰ったときに、遊びに来ていたKちゃんがぽつりと漏らした。
「最近なぁ、近所に子供がおるんだわ。
 うちの前通るときになぁ、「知恵遅れ」やら「頭おかしい奴」やら言ってくんだわ。
 おれ、何もしとらんがや」
そう言ってKちゃんは、ぽろりと涙を流した。
わたしと母は、あまりの怒りと悲しみで涙をこぼした。体中の血が沸騰しながら巡るような激しい怒りだった。
わたしは今でも、「池沼」という言葉をネットで見ると、時々このときの激しい怒りがフラッシュバックすることがある。

心ない人が増えてきた中で、一人で置いておくのは危ない。でも、家に引き取るのも難しかった。
母は何度も行政へ相談に行き、申込書を送った。
わたしは働きながらネットで情報を探し、母に伝えた。

ある冬の日、わたしは仕事中にふと「Kちゃんの施設、どうなったんだろう」と思い出した。
その夜、母からKちゃんが救急搬送されたことと、危篤であることを知らされた。
仕事が忙しい時期で面会時間に間に合わないから、明後日の祝日にお見舞いに行くね、と言って電話を切った。
お見舞いに行くはずだった祝日に、わたしは呆然としながらKちゃんのお骨を拾った。

Kちゃんの遺影は、今も家にある。
戒名には、「智」という文字が入れられている。

「池沼」という言葉を使う前に、考えてほしいこと

「池沼」や「あうあうあー」といった言葉や「^p^」という顔文字は、知的障害者を指すネットスラングとしてよく使われている。
知的障害者への暴言を目にすることも少なくない。
そこには、知的障害者なら言ってもわからないだろう、という意識があると考えている。

でもね。
言葉の意味はわからないかもしれないけど、そこにある明確な悪意は、ちゃんと伝わってる。
それは、「池沼」という言葉を知的障害者以外への罵倒語として使うときだって同じ。
「使うな」とは言わないし言えない。グレーゾーンの言葉を規制するのは、言葉狩りにつながることだから。
ただ、そこに含まれた差別感情や悪意、嫌悪や侮蔑は、知的障害者本人や周囲の人間に伝わる。
そのことは、忘れないでほしい。


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Kちゃんの家から形見としてもらったのほほん族は、今日もわたしの部屋でのほほんと頭をゆらしてわたしを見守ってる。

*1:名古屋市以外では療育手帳と呼ぶ。知的障害者手帳

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