さらさら録

日々のさらさらの記録

わたしは今も、自分の中に獣を飼っている

わたしは獣になりかけていた - ある精神病患者の一日
ああ、わたしのようだ、と思い涙が止まらない。心身を壊しフルタイムで働けなくなり、今の契約社員ライフが楽しくて。ただわたしは筆者と違い心身を壊さず働いている人たちへの嫉妬を未だ断ち切れないでいる


このエントリを読んで思わず上記のブコメをしたのは、仕事帰りのバスの中だった。
6月頃から自分を苛んでいる前の職場のフラッシュバックに悩まされ、自分の中に荒れ狂う獣をなだめる日々の中で出会った。

わたしも元々、万能感とプライドの高さを持って生きていた。
そして、親の言葉もあり、正社員であることが人間として正しいと信じていた。
だからこそ、大学を卒業し就職してすぐにレールを外れたことが許せなかった。そして、パートとして入社した会社で正社員登用されたことを誇らしく思い、レールを外れた自分を許すことができていた。
正社員であることは、生きていくために強力なステイタスだから、簡単に手放してはいけない。
だからこそ、正社員登用された会社がなくなり、別の会社で働くことになったとき、すぐに逃げずに我慢して精神的な病をこじらせてしまったのだろう。

前の会社で心身を壊し、休職したのが6月。
入社から1年だったため、与えられた休職期間は3ヶ月だった。その満了を待たずに退職した。
職業訓練の受講なども考えながら、今の会社に契約社員として入社したのは12月のことだった。
当初の契約期間が3月末であったため、4月の新年度から自由に動けるだろう。1日6時間週30時間の庶務なら、心身を壊したわたしでも働けるだろう。最初はそのような考えだった。
思いもよらぬ大企業で働く日々が始まった。


課内の業務をサポートするために、頼まれたことをこなすことがわたしの仕事になった。
今までのようなルーティーンの業務はないけれど、ひとつ仕事を終えてToDoにチェックを入れるたびに「ありがとう」が返ってくる仕事は、働くことや自分の能力にすっかり自信をなくしてしまったわたしには、最高のリハビリになった。
頼まれた業務をこなす中で、今までの経験を活かすことや自分の裁量で判断することも少なくなく、自由に仕事をさせてもらえることは初めての楽しい経験だった。
配属先は95%が男性の中堅~ベテラン社員だったが、みんなどこまでも優しかった。
フロアのどこからも、怒鳴り声は聞こえてこない。手が止まると、誰かが見ていてくれてきちんとフォローしてくれる。
質問にも嫌な顔せず答えてくれるので、わからないことをきちんと解決できるようになった。
わたしから見たらエリートな人たちは、契約社員のわたしを見下すことはなかった。

入社してから数日で、ぐんぐん自分の心が感情を取り戻していると感じた。
仕事からの帰り道に「働くことが楽しい」という感情が芽生えていることを見つけて、声を上げて泣いた。
他の課の契約社員や女性社員と一緒にお昼を食べるうちに仲良くなり、人生で初めて女同士でつるむことが楽しいと知った。
「仕事が早い」「飲み込みが早くて助かる」と褒められ、任される仕事も当初の範囲を大きく超えた。
歓迎会で、「人生楽しそう」と言われて、今までの苦悩が顔に出ていなくてよかったと心のなかでガッツポーズをした。
「いつもにこにこしていて癒やされる」と言われて、笑顔を取り戻せていたことに気づいた。

ドクターには、「今のところで働き始めてからのあなたは、本当に活き活きとしてあるがままに生きている。心が楽しいと思えるところ、無理を強いないところで働けばいいんですよ」と言われた。
契約更新の面談の際、上長が「このまま残って働いてほしい」と言うのと同時に「このまま働かせてください!」とお願いした。
正社員でなくたって、必要とされている。むしろ、正社員であったことより、必要とされていると感じている。
形に囚われず、「楽しい」と思いながら働くことが、こんなに健やかだとは思っていなかった。



しかし、今の職場に慣れるにつれ、自分の中の獣が暴れ始めてしまっている。
心身を壊すことなく正社員としてバリバリと仕事をこなす人たちが間近にいる環境に身を置いていると、自分の選ばなかった/選べなかった未来を思い嫉妬で狂いそうになるのだ。
世間一般で言われている「いい人生」のロールモデルそのもののような生き方をしていることが少なからず存在することを知って、打ちのめされるのだ。
狂いそうになるたび、フラッシュバックで頭のなかに幻聴のような声と電話が鳴り響く。前の会社で日々追われていた音たちが、壊れた心身を思い出させ、「仕方がない、仕方がないんだ、どう足掻いたってわたしにはそう生きられないんだ」と言い訳のようにつぶやく。
わたしはまだ、諦め切れず、嫉妬も未練も断ち切れずにいる。
きっとそんな自分を見つめ、受け入れ諦めることが、必要なことなのだろう。


諦め切れない理由の中には、お金の問題も無関係とは言い切れない。
時給3桁の契約社員で、日6時間。月に得られる給与は、正社員時代の半分になった。そのうち、奨学金を返済したら、手元に残るお金は大学生のアルバイトよりも少ない。
実家住まいのため何とか生きていけるが、この先両親を亡くしたらどう生きていけばいいのだろう、という不安は常につきまとっている。
とはいえ、この心身ではフルタイムで働くことが難しいと言われてしまっている。
奨学金の返済と生きるためのお金に日銭は消えていき、やりたいことを自由に行えるだけのお金も、ましてやこの先の貯蓄などどこにもない。
その不安と焦りが、自分を焦らせている。
金銭的な不安は、人を獣にする。しかし、わたしにはここから抜け出すすべがわからない。
わからないなりに、毎日を生きることだけを考え、獣になってしまわないように自分を奮い立たせる。


先を考えない生き方は、愚かなのだろう。
しかし、先を考えて生きることは、自分を縛ることなのかもしれない。最近、そのようにも考えるようになった。
不安は尽きることはない。
それでも、わたしはまだまだ今の会社で働いて生きていくだろう。「楽しい」と思いながら働いている限りは。



このエントリのBGM。
どうにか諸々の折り合いをつけて再結成ツアーに行きたい。

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