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さらさら録

日々のさらさらの記録

親を許さなくてはいけないのかな

考えたこと 自分のこと 親と子のこと

こんなブコメを書いたところ、たくさんのスターをいただいた。

自分のなかの残念な部分に気づく、その時までに

一部ブコメへ。毒親を断ち切るのは子供自身で、その過程で親を許す必要なんてない。親からの呪いは奇麗事で片付かない。

これは、毒親の呪いを断ち切った元増田に対し、「いつかは親を許してあげて」「親を呪うのはやめよう」というブコメがついていたことに対して、「そんなんじゃないんだよー!そんな簡単なもんじゃないんだよー!」と言いたかった。

わたし自身、元増田と同じように、いわゆる毒親の元で育った。
親からかけられた無数の呪いを断ち切ろうとしている最中である。
“親の呪い”というものを理解できない方もいるかもしれない。しかし、この世には親に呪いをかけられたために、いくつもの生きづらさを抱えている人間も少なからずいる。
そうした人たちは、「許せない」の入れ子構造の中で生きている。
自分を愛せない自分を許せない。
卑屈になってしまう自分を許せない。
出来損ない*1の自分が許せない。
愛されない自分を許せない。
認めてもらえない自分を許せない。
そして、 自分を許せない自分を許せない。

親の呪いを解くということは、自分を許せるようになること。
そこから、自己肯定感を持つことが始まる。
ところが、そうした人たちに対して「親を許せ」と言うことは、すべてを振り出しに戻してしまう破壊力を持っている。
親を許せない自分を許せない。
子は親を許さなければならないものと暗黙のうちに規定されているのに、こんなにも「親を許せ」と言われるのに、どうしても自分は親を許せない。
それがトリガーとなり、足掻いた結果許せていたはずの自分さえも許せなくなってしまう。

生きていく上で大事なことは、親を許すこと以前に、自分をどうにかすることだ。
自己肯定ができて、そのまま生きていけるようになった先で、親への思いを手放すことはできるかもしれない。ただ、それは許しとは違う。そこに許しがあるとしたら、親を許せない自分を許すという、あくまでも自分に対する許しだ。
自分を許すには、とことん自分と向き合うことが必要になってくる。それは、血反吐を吐く思いで、大変な苦痛を伴う。その作業を行う過程で、親のことは考えなくていい。息も絶え絶えになりながら親を許したところで、呪いが解けるなんてことはない。呪いを解けるのは、呪いをかけられた本人だけが、自分にだけできることだ。

…なんてことを書いていたら、「それでも親は許されるべきものだ!」だとか「親への感謝が足りない!」なんて言われるんだろうなぁ。
わたしの場合、親に感謝していないわけではない。一言で言うなら「愛憎入り交じる」という言葉がぴったり。
だからこそ、相反する感情も相まって一層苦しむのだ。単に「許せない」だけではないのだ。こういう感情を持つ人は、わたし以外にもきっといるんじゃないかな。

親に呪いをかけられて生きてきた人たちにお、さらに「親を許せ」という呪いをかけようとしないでください。


 毒親に育てられた少女が、自分を許していく過程を描いた作品。
10年前の漫画だけど、まったく古びていない。おすすめです。
何度も繰り返し読んでは、そのたびに違う痛みと光を見出してます。
いずれ、この漫画についても記事を書きたい。

*1:この場合、出来損ないだと思っているのは自分だけなんだけど、本人は頑なに出来損ないだと思い込んでいる

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