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さらさら録

日々のさらさらの記録

受け手側の無意識的性差別について考えてみる

前回の記事を受けて、ブログを書いていただいた。
そうそう、それが言いたかった!ということだったり、そうか…それがまずかったのか、と思ったり。

男と女とブログと看板とリテラシー - あざなえるなわのごとし

そうではなく男女、年齢、社会的地位。

それらを記していなくても、

それらが文字に溢れてしまえば、

それは「ネットのパーソナリティ」なのであって

それで判断されるのは、それは仕方のないこと。

(中略)

「私は女性です」

書かなくても文字が女性を感じさせれば読み手は勝手に女性と判断してしまう。

女性と思わないで中身で判断してと言うならコントロールすればいい。

コントロールするのもまたリテラシー

「女性である」と書いてしまった以上、女性というフィルタリングをされて見られてしまう、という視点を見落としていたのは、わたしの落ち度だと思う。
わたしが女性であることははてブを見たらわかることなので記述していたんだけど、はてブはてなブログと独立させてやればよかったのかもしれない。
けど、それでいくと過去の記事で書いたようなことも書けなくなるし、性別を隠そうとするあまりに書きたいことも書けなくなるし、でも性別を明らかにしたらバイアスがかかってしまうし…というジレンマ。
女であるということはわたしの一要素でしかなくて、それ以外の部分を見てほしいというのは、ただ単にわたしが傲慢なだけかもしれない。
どうしたって、性別を明らかにした以上は、そのフィルタリングから逃れられない生き物なのかもしれない。

表現者の性差を考える - ロックンロールと野球とラーメン

作家にしろ、音楽にしろ、そしてブログにしろ、表現者に男性が多いとされる世界の中で、女性がある成果を残した時には「女性なのに」という枕詞はどこまでもつきまとう。
(中略)
同じ事をやっていて、成果を残しただけなのに、自分でコントロールできることなく目立ってしまって叩かれやすくなる。
その根本的原因が性差ということもあるだろう。
社会的には散々、男女平等やら機会均等やら言われているけれど、人の内側での性差別への意識は根深いものなんじゃないか。

そうそう!と頷きながら、同時に自分の無意識下での性差別に気づいて愕然とした。
男女の別なくパーソナリティを見て欲しいと思い、パーソナリティを見るようにしているけど、それでも「男が/女がこういうこと言うなんて」と思ってしまったことはある。
たとえば、男が「セックスしたい」と書いたら「正直でよろしい」だとか「ソープに行け」といった反応になるんだろうけど、女が「セックスしたい」って書いたら「はしたない」とか「ヤらせろよ」という反応になるんだろう。
社会通念みたいなレベルでの性差別に、知らず知らずのうちに支配されてしまっているのかもしれない。
その延長線上に、「これは女が書いたものだから」という先入観を持って読まれるブログ、というものがあるのかもしれない。

全然考えがまとまらないうちに、思うがままに書いているのでとても読みにくいだろうし、結論みたいなものも出ていないので、こうして公開するのは不適切かもしれない。けど、とりあえず今考えていることを書き留めたかったし、こうして考える機会やヒントをもらえるはてなって面白いなぁとしみじみ思う。

女であるというフィルタリングからは逃れられないかもしれないけど、女であることをアドバンテージにして生きていくことはわたしにはできないな。
今日の着地点は、いったんこのあたりで。

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